それでも

生きていくのってむずかしい。

伝統

私は、伝統が必ずしもいちばん良いものだとは思わない。

「今まで大丈夫だったから」

「今までずっとこれでやってきたんだから」

ノー思考での継承。とりあえず続けているだけ。

はあ。そうですか…。しか感想は出てこない。

 

ただ、一度やめてしまったものはなかなか復活しないし、壊してしまったりしたら二度と戻ってこないこともわかってる。

 

私が子どもを産みたくないのと一緒。

私が子どもを産まなければ、そこで私の血は途絶えてしまう。

私が死んだら、そこでおしまい。二度と復活しない。

そのかわり、きょうだいや親戚が似た血を受け継いでいく。

血ってなんだろうね。今でもよくわからない。

両親から受け継いだもの。強制的に受け継がされたもの。

『私』ってなんだろう。

 

ここまで打って、小さい頃見たクレイアニメを思い出した。

同年代の人ならわかるはず。NHKでやってた、ハウスネイルってやつ。

いまぐぐったら正式名称は「ジャム・ザ・ハウスネイル」っていうんだって。

この主題歌、好きなんだー。「僕でありたい」。

 

猫が猫であるように、犬が犬であるように、全身全霊、僕でありたい。

 

これだけ。

いま思うとすごいね。短すぎ。川柳並み。でも、好き。

全身全霊自分でいたいって思ったことあんまりないけど、猫はそこにいるだけで猫だし、犬もそこにいるだけで犬。猫は生きてるだけで猫。猫として生まれて大きくなったら犬になれるかって言われたら、そんなことは多分、何らかの神がかった奇跡か、科学の大幅な進歩が起こらない限り、ない。

私だって、生きてるだけで私なんだよね。人間として生まれてしまったから、少なくとも死ぬまでは人間。それ以上でもそれ以下でもない。生きてるだけで自分。

だけど、なかなかこれがみとめられないんだよね。自己肯定感持ってないから。

少しずつ、少しずついま練習してる。自己肯定感を持つのはむずかしい。削ごうとしてくる人間を遮断するので精いっぱい。

 

話は最初に戻るけど、自己肯定感を削ごうとしてくる人間、すぐ「前はこうだったから」「みんなもこうしてるから」がだいたいついてくる。偏見かもしれない。ソースは私だからね。私の周りの削ごうとしてくる人はこう言うの。

「前」の何がいいんだろう。

なんで「前」と同じようにそうしなきゃいけないんですか?って聞くと、前からみんなこうやってるから!ってだいたい返事がある。そこに思考はない。

仕事にしろ、生活にしろ、具体的な回答はだいたい得られない。むしろ、「やりたくないからって文句を言うな」ってわがままなやつだ!ってレッテルを貼られる。貼るなよ。勝手に貼らないでくださーい!!

で、なんだっけ。そうそう、伝統。 日本は伝統的に、男が外で働いて女は家で働くって文化があるって言われる。 それって本当に良いことなのかな。必ずしもそうじゃないといけないわけじゃない。特にいま、労働力が不足しているから女性や高年齢者にも働いてもらおう、っていう意見をすごくよく聞く。基本的には反対じゃないよ。働きたい人は働けばいい。だけど、私はそもそもつらいことはしたくない。楽しいことだけしていたい。今の社会だと、死ぬまで働いて同時進行で結婚出産(3人以上!)をしないといけないって言われる。無理ゲー。まじ。やりたいとかやりたくないとかは置いといて、そんな生活、時間が足りない。1日は24時間しかないんだから。どうなってんだ。寝なきゃいいのか。そりゃ無理だ。AIにとってかわられる!って怖がってる人たちいるけどとってかわれるもんならどんどんとってかわってほしい。 なんだこの無駄な仕事…ってやつ、あるもん。家でも、楽できることは楽していいんだ。料理なんてしばらくしなくたってなにかしら食べれば生きていける。入浴と洗濯は…くさくなるからさすがにやろうね。 私も年齢を重ねて、度胸?肝?なんていうの?だんだん力がついてきたと思ってる。ただし、上には上がいっぱいいる。力ずくで押さえつけられる。伝統的なことが正しいんだ!だからやれ!って。 そんなら電気もガスも水道も使わないでくださいってはなしだよ。車なんてもってのほか。歩いてください。川が増水で荒れたときは堤防なんて作らずに神様を鎮めるために人柱として犠牲になってくださいってはなしだよ。 誰だってやだよそんなの。 みんなで楽していけばいいんだよ。私だけが楽をしたくて言ってるんじゃないよ。みんなが楽になればいいんだよ。 私もはやく楽になりたい。

自他ともに認めない

ずっと、デブだって言って育てられた。

生まれたときは標準以下だったけどそれは予定日より1か月はやく産まれたから。それからすくすくと育ち、ぽちゃぽちゃの乳幼児期を過ごし、幼児を過ぎたころからは客観的に見るとガリガリの範囲だったと思う。

それでも、デブって言われた。

だから自分はデブなんだって思ってた。

友達に「細くていいよね〜」って言われてもお世辞だと思ってた。ぜんぜん細くないよ…って言ってた。

自分の体とひとの体を比べて見たことなんてなかったから。

高校を卒業して家を出て、このまえ書いたカウンセラーの先生に会って目が覚めてはじめて自分の体とひとの体を比べて見ることができた。

私、ぜんぜんデブじゃなかった。むしろ、健康診断で痩せすぎって言われる。標準体重より下。よく言われる美容体重に近い。

ようやく気付いた。義務教育で身長体重の表見てたはずなのになんでわからなかったんだろう。見えてるだけだったんだろうね。見ようとしてなかったからよくわからなかった。

なんだぜんぜんデブじゃないじゃん!ダイエットなんて人生で1回もしたことないけどそもそも私に必要なかったんじゃん!!

ショートパンツとか昔はいたら太くてみっともないからやめなさいって言われて封印してたけどひっぱりだした。履いた。ぜんぜんいけるじゃん。そう思って手も足も出してた。ただ、乳は出したくなかった。だって小学生のとき、二次性徴が4年生くらいからはじまって、ジロジロ見られたりするのすごく嫌だったから。同級生みんな子ども体型なのにひとりだけ胸も尻も大きくなってすごく嫌だった。水着とか絶対着たくなかった。二次性徴始まってからプール入ったことないんじゃないかな?

だから、手も足も出しても乳だけは隠してた。隠してたというか、わりにウエストも細いのね。60以下。まじで。実測。だからアンダーも65とかなのね。そうなるといくら寄せて上げても目立たないの。個人的には邪魔だし、大きく見えるとジロジロ見られるからべつにいらないと思ってるからよかったんだけど、今度は、貧乳って言われるようになった。

最初はべつに気にしてなかった。ほんとのことだと思ってたし。だけどさっきも言ったとおり、体型的に目立たないだけでふつうにあるんだよね。巨乳とは言わないけど標準。この身長体重にしてはまだあるほうだと思うよ。決して負け惜しみじゃない。

私が気にしてないのをいいことに、エスカレートするんだよね。

 

駅の人混みのなかで、「貧乳!」って大声で叫ばれたこともある。

まわりに同級生の男子もいるのに「貧乳だもんねー」

ちょっと夏バテして食欲ないって言えば「そんなんだと余計貧乳になるよ!」

そういうこと言ってくるのはだいたい固定の子たちで、ちょっとふくよかな子たちだった。夜中にポテトチップス食べてるその子に言ったんだよ。「太るよ」って。

めちゃくちゃ傷ついた顔をされて、その子は食べるのをやめた。どうしたの?って聞いたら、なんでもない…って言ってた。

後日、「太ってるの気にしてるのに太ってるって言われた…ひどい…」ってうわさが流れてくる。

もう、観音菩薩のような私でもさすがにイラッとくるよね。

貧乳は言ってよくて、太るよはだめなの?ってその子に聞いた。

「私は太ってること気にしてたのに…そっちは貧乳なのは気にしてなかったじゃん…」

私が貧乳かどうかっていう事実はこの際置いといて、論点が違う。そもそも太ってるの気にしてるの知らなかったし。気にしてるの知らなかったら言っていいってことじゃないけど。私が無神経なのかもしれない。だけど、言っていいことと言っちゃいけないことって、ここで決まるんだ…って思った。

執拗な貧乳いじりにも私は、あーはいはい!貧乳じゃないから!って言ってた。そりゃ、公衆の面前や男子がいるところで言われるのは嫌だった。だけどそれは本当のことじゃないからまた言ってる…くらいにしか思ってなかった。

太るよ、って言ったひとことをその仕返しだと思われた。あの子は痩せてるから太ってる悩みなんてわからないんだ、ってうわさが流れた。

いい?いつものごとく言ってもいい?

心底、めんどくせ〜!!!!って思ってしまった。

なんかもう、その瞬間すべてのことがめんどくさくなった。あと、少しでも嫌なことには声をあげていこうって思った。この子との仲は改善はしてない。この時は改善したけど、違うことでまたこじれてしまった。いまはちょっと距離を置いてるところ。でも会ったらふつうに昔みたいに話せる自信あるよ。だってアダルトチルドレンだから。傷ついたことを隠すのは得意だよ。できれば使いたくないと思ってるけど。

 

いまでも実家に帰るとデブって言われる。痩せなさいとか、食べる量減らしなさいって言われる。私は相変わらず美容体重。

なんで?これ以上痩せちゃいけないって健康診断で言われたんだけど。ってこないだ言った。

見た目が悪いんだって。足が太いんだって。

さいですかー。

もう、お前の目は節穴か!レベル。

多分節穴で確定。私のことをデブって言うのは家族だけ。そりゃモデルさんとかみたいな体型じゃないよ。一般人のなかでのはなしだよ。あと数値のはなし。

だけど、例えば私が父親に「髪薄くなってきたんじゃない」「おなかが出てきたんじゃない」とか言うと、烈火のごとく怒られる。そしてへこまれる。だからだめなんて誰も言ってないのに。

 

なんかとりとめもないこと書いたけど、私が言いたいのは、容姿のことでわーわー言われてる人、そのわーわー言われてること、事実じゃないかもしれないよってこと。

そもそも、痩せていなければ、 巨乳でなければ、髪はたっぷりなければ、顔が整っていなければいけないなんてことはない。べつにいいじゃん生きてるんだから。なんともないよ。太って太って死ぬようなレベルだったらそりゃたしかに痩せたほうがいいかもしれないけど、べつにいいじゃんね。この逆もある。本人が痩せたいなら、美しくなりたいなら、それを追及したっていいんだよ。

 

でもこれは「生存」のはなし。「恋愛対象」のはなしではない。ここがいっしょになってる人間が多い。そもそも恋愛感情持ち合わせてないから私にはあまり関係ないはなしだけど。恋愛対象になりえなければ、生きている意味がないって思い込んでる人間、多い。モテや恋愛、結婚に重きを置いてるひと多いけど、私がそれを否定しないかわりに私が別のところに重きを置こうとするの咎めるのやめてくんないかなあ。だいたい別にさあー、不特定多数にモテても一個もいいことない。こっちから一切興味ないものにつきまとわれでもしてみなよ。そしていくら否定してもそれを逆に否定されてみなよ。もう怒りしかわかないから。このこともまた書こう。いくらでも書けるよ。

とりあえずいま私が一番ほしいものは、自由。あとお金はあればあるだけうれしい。

付き合うとは

街コンや合コン、婚活パーティーにいままで両手両足の指使っても足りないくらい参加してきた。

参加してよかったなあって思ったこと、あんまりない。

そもそも、異性に特段興味あるわけじゃないし。

最初の頃はなんにもわかってなかった。ただ、行って、モテて、連絡先たくさん入手して、たくさんの異性と同時進行でLINEして、ほんのちょっとでも気になったらとりあえず会ってみる。でも、イラッとする異性ばっかりで、家に帰ってLINEブロックする。それがいつもの流れ。

なんだろうね。

そういうところに来る異性、連絡先ゲットしたらもう私のこと落としたと思ってる人が多い。そこがゴール。連絡先手に入れてゴール。おめでとうございま〜す!!パンパカパーン!!って感じ。多分。

私の感覚だと、そこがようやくスタートラインなんだけどね。

だってその人がどんな人なのかわかんないからとりあえず連絡先交換してみて、合う人なのか合わない人なのか見極める感じじゃない?


この前も友達と「LINEがクソつまんない男あるある」で盛り上がった。

私が一番、こいつクソつまんねえなと思うのは、特に仲良くもないからいわゆる既読無視してると「生きてる⁉️笑」って送ってくるやつ。友達、「いるー!!!!」って笑ってた。少なくとも複数名いるよ。生きてるか聞いてくるやつ。

控えめに言って、死ねって思う。少なくとも私の表情筋と心は死ぬ。

生きとるわ!お前に心配してもらわなくても生きとるわ!そもそも私が不慮の事故や病気で死んでたらどうすんだ?一回返信してみようかな。母です。この子は亡くなりました。って。いやいや信じられたら困るからやめよう。はいブロック。

でもねー、ちょっとでもやだなと思った異性はブロックしてるってことを異性に知られると、ドン引かれる。なんでかわかんないけど。ブロックされるようなこと送らなかったらいいのにね。あといいじゃんブロックしても。人間に等しく与えられた権利だよブロックは。

セクハラと一緒だよ。みんな同じ言い訳するもん。そんなことされたら何の会話したらいいのかわかんない!って。いいじゃんべつに私と話さなくても。私があなたのことを不快だと思った。それだけ。それを不快じゃないと思う人とだけその会話したらいいじゃん。なんで嫌だと思ってる人に無理やり押し付けて、心を開かせようとするの?そもそも心なんて無理やりこじ開けるもんじゃない。開かないもんは開かない。それだけ。全人類老若男女にモテる私にだって心を開けられないひとはいる。


私ははたち超えるまでモテてなかった。というかモテとか私と別の世界の話だと思ってたから気づいてなかっただけかもしれないし、そもそもその世界に踏み込もうともしてなかった。生きることで精一杯だった。

だから、初めて街コン行ったとき、めちゃくちゃモテて自分もびっくりした。友達もびっくりしてた。モテるんじゃん!って。そこからちょっとだけ調子乗ってるのは事実。なんていうの?クソみたいなやつにべつに傅かなくてもいいんだってわかった。当時はうら若き自尊心のない女子だったからマウンティングしたがる人間がいっぱい寄ってきてたのもある。数年我慢したよ。世間の、そんな人にしかモテないのはお前がその程度の人間だからって論におどらされてたから。だけどね。ある時思った。べつにモテなくてもよくね?そもそもこんなやつらにモテても一個も嬉しくなくない?むしろ害だわ。不利益だわ。大切な私の時間を消費させるべきじゃない。

それからマウンティングしてくるやつには出た!!マウンティング!!って言うし、下半身直結野郎にはガン無視で一目もくれてやらないし、やめてほしいことはやめてほしいって言うし、嫌なことには私はそれは嫌だって言うようにしてる。だけどあいかわらずモテる。なんでかはよくわからないけど、老若男女にモテるようにふるまっちゃうアダルトチルドレンからしょうがないよね。

でもね、モテて嬉しいかって言われたら、別に嬉しくない。だって、好きになるっていまだによくわからない。

自分のことアロマンティックアセクシュアルかな?って思ってからは、告白されたら「アセクシュアルで検索して。それでもいいと思ったら付き合う」ってかえしてる。

いままで、片手で数えられるくらいの異性から「それってセックスできないってこと?キスもできないの?」「それって付き合う意味ある?」って返事を頂戴した。できないんじゃなくてしたくない、って言っても「意味がわからない」らしい。そんなにわからないもんかな。そもそも付き合う意味って何?その人がいいなと思ったらそれでいいんじゃないの?付き合うって、無料のオナホール手に入れること?いいね突っ込む側は気楽で。アセクシュアルの男性もいるってわかってるよ。わかってるけど、でも私の身近にはいない。シスヘテロのロマンティックセクシュアルばっかり。インターネットだったらそうじゃない人もけっこう見かけるけどね。

でも、ひとりだけ、1週間考えて、それでもいいって言ってくれた人がいる。ほんとにググった?記事みた?って何回も問い詰めた。見た上で、それでもいいって。この人なら大丈夫かもしれないって思った。まだ、かもしれないの段階だけど。未来までは、わからない。


結婚自体は、縁があればしてみたい。

妊娠出産は、したくない。

現代日本が、異性とじゃないと結婚ができない世界だからこそ、街コンも合コンも婚活パーティーも行くよ。異性と仲良くなる方法、なかなかないもん。そもそも、仕事とか、出会いを求めてない場所で一気に異性から距離を縮められたら、来んな!つてはたいてしまうかもしれない。物理的にははたいてないけど、ぶった切ったことなら、ある。

同性でも結婚できる世界だったら、どうだろうね。私はバイでもビアンでもないけど、異性と結婚してもどうせ出産のことは考えてないんだから、同性でも結婚できる世界だったら、同性と結婚したいかな。そもそも子どもは?って質問から解放される気がするから。そんだけの理由でごめんね。


「あの年齢で結婚してないなんて、人格に問題あるんじゃない?男ならまだいいけど女は子どもを産まないといけないからね…」っていう『世論』、まだ私の中にも少しだけ残ってる。まだ完全には解呪できてない。少しだけ、結婚しなきゃ、っていう心が残ってる。

私の人格に問題があるかと言われればそうに違いないんだけど、でも大声でそれを教えてあげる義理はない他人から言われることが多い。次言われたら教えてあげようかな。そうだよ?知らなかった?って。でも理由は言いたくない。どうせ面白がられるだけだから。


結婚だけに限らず、みんなにとって生きやすい世界になるといいなあと思うよ。だけど、私に、人のために生きやすい世界を作ってあげるだけの余裕はない。よく、自分のためにそれだけできるなら私のためにもやってよって言われる。私は私の、自分が生きやすい世界を作るので精一杯だから自分のことは自分でやってって言うと、冷たい!って言われる。理不尽。私が冷たかったら世の中の大半の人は冷酷だぞ。基本的にはとてもあたたかい人間だよ私は。害を与えてくる人間には決してあたたかくできないけど。

生きやすい世界に向かって生きていきたい。


幸福

将来の夢がない、っていう記事を書いた。

いまもこれといった将来の夢はないけど、自分の未来が、広い家で動物を飼ってしあわせに過ごしているといいなあと思う。


そもそも、私がしあわせだと思うことは


何も不安なく快適な睡眠が取れる

おいしいと思うものを適量食べる


まずこのふたつが最低限必要。

そこから、好きな服を着るとか、好きなアーティストの曲を聴くとか、好きなグループのライブに行くとか、そういったしあわせが続く。


よく、結婚と出産は女のしあわせって言われるし、信じ込んでたわけじゃないけど漠然と子どもの頃は自分の未来もそうなるものなんだって思ってた。というか、そうならなきゃいけないんだって思ってた。そして、自分の子どもには自分と同じ思いは絶対させたくないって同時に思ってた時期もある。


いま思うと、なんで未来を強制されてるんだろうとしか思わない。

そして今は、もし自分が子どもを設けたとしても高確率で自分と同じ思いをさせてしまうし、もし同じ思いをさせないとしても、そのためには今まで以上に自分自身ががんばらないといけないっていうことに気付いた。

その時に思った。誰かのために生きるのはもうやめよう。自分のために生きよう。って。


反出生主義ってことばを知った10代の頃は、私はこれかもしれないって思ったこともあった。よくよく考えると、私が子どもを設けるということが双方もしくは片方がしあわせになれない可能性があるだけで、結婚相手によっては全員しあわせに生きることができる可能性だってある。でも私はもうがんばりたくない。子どものためには少なくともがんばらなくちゃいけないっていう思いがあるから、私は自分に子どもを設けたくないだけで、たとえば他人が子どもを設けるのはべつにいいと思う。少なくとも、少なくとも子どもにはしあわせに生きてほしい。だけど、そのために大人がしあわせを削らないといけないっていうのも間違ってると私は思う。全員がしあわせに生きることのできる世界なんてないのかもしれない。誰かががんばらないといけないのかもしれない。がんばらないといけない人をまわりが決める必要はない。自分で自分のしあわせを削るのは自由だけど、他人のしあわせを勝手に削ってはいけない。そんなこと許されてはいけない。たとえ家族であっても。

これが矛盾してるっていうのも自分でよくわかってる。だけど、そう思うことしかできない。無断で私のしあわせを削り続けられて生きてきたから。


実は、結婚も出産もしたくないって言ったら家族に泣かれた。

そんなさみしいこと言わないでよって。

からしたら、さみしいこと言ってるのはどっちだよって思うんだけとね。

やっぱり、家族からも私という個は認識されておらず、女という側面でしか見られていない。世の中の女が当たり前にすることをなぜできないのか。

できないんじゃなくて、しないだけなんだけど、これは負け惜しみになるらしい。

せめて話し合いが出来ればよかったんだけど、私の意見を聞くことはなくあっちの言い分をただひたすら言われて私がそれに反論する場になってしまった。しまいには、育ててあげるから生んで!って言われて、もう絶望しかなかった。生んだあとの心配とかそういうことを言ってるんじゃないのに。それが理解できないみたい。そもそもそんなことをしたら、第二の私ができてしまう。私からしたら最悪のパターンだ。


よくいるよね、話せばわかる!って言う人。私、いままでの人生でたくさん会ってきたし言われてきた。だけど、そういう人ってたいたい、相手が折れる前提だよね。ごめんね偏見だったら。ソースは私。

話し合いって、妥協点を見つける場じゃないのって思うんだけど、どっちが正しくてどっちが間違ってるかを白黒つけるまで終わらない。話してもわかりあえない。なぜなら、どちらも自分のほうが正しいと思っているから。

どちらも正しいんだよ。己が正義なんだよ。正義の反対は悪じゃないって言葉があったじゃん。正義の反対はまた別の正義なんだよ。信じるものがたまたま違っただけなんだよ。


私、人と人はわかりあえないって前提で生きてる。だって別の個体で、完全に信じる正義が同じってなかなかないと思う。似た正義の人とはたまに出会うけど、完全に同じってなかなかない。

これ、前にもどこかで言ったけど、『よく似ている』は『同じ』ではないからね。似ているだけ。

私が世の中のスタンダードだとも思ってないけど、『私のスタンダード』はこれなんだよ。それを、どうにかして捻じ曲げようとする正義感を持った人がいる。それはあなたのスタンダードでしょう、って言ってもこれが世の中のスタンダードだから!って言われる。世の中のスタンダードなんて誰が決めたんだ。憲法に書いてある?法律に書いてある?

私も、自分の生命を脅かされると黙っちゃいられないから反論なり抵抗なりする。そうすると相手の正義に反抗することになる。そうなると、相手は私を悪だとみなす。

違う、ってなんでわからないんだろう。


たとえば私に好きなものがあるとしよう。なんでもいいや。たとえば私がトマトが好きだとしよう。トマトが嫌いな人がいたとする。別にその人がトマトを嫌いでも私はどうでもいい。だけどたまに「トマトが好きなんて頭おかしい!」ってわざわざ言いにくる人がいる。そうなったら逆に私とは別のトマトが好きな人が「トマト嫌いなんて人生損してる!」って言うとする。

もう、泥沼だよね。

正直、どうでもいい。トマト好きでも嫌いでも、死にゃしないし。

そんな感じ。

なんでほっといてくれないんだろう。あなたはトマトが嫌いなんだー、ふーん。私はトマト好きだよー。程度の話。

逆に相手にトマト食べなよ!!!!!!ってウザ絡みするつもりもないし。いいじゃん嫌いでも。


私の正義に賛同してもらおうとも思ってない。賛同しなければならない決まりはどこにもないし。

話し合いであれば、妥協点は見つけたい。だけど、お前とは妥協点すら見つけたくねえよって相手もいるし、必死に妥協点を見つけたけどどうしても折れることができなかったこともある。


結婚と出産に関しては完全にそれ。私が自分のスタンダードや正義を捨てれば、すぐにでもできる。自分を隠して、捨てて生きていけば、すぐにでもできる。本当だよ。負け惜しみでもなんでもない。こちとらアダルトチルドレンだぞ?求められた役割なんて瞬時に理解してその通り動けるわ!やりたくないことをやればいいんでしょ?できるよ。でも、やりたくないだけ。そこに私のしあわせがないから。


自認なんてはっきりしたものじゃないけど

私が自分のことをアロマンティック・アセクシュアルだと思ったきっかけは、婚活。


昔から家事ができたから、小学生のときも、中学生のときも、高校生のときも、「早く結婚しそう」って言われた。家事ができる、面倒見がいい。それだけの理由で。家事ができるのと面倒見がいいのは当たり前だよね。小さい大人として家事をやらないといけなかったし、まわりの面倒も見ないといけなかった。当時の私にとっての当たり前。


私も、高校生くらいまでは、将来自分が結婚して子どもができたら自分みたいな思いは絶対させないって思ってた。高校生くらいまでは漠然としたものだった。私は『いいお母さん』になるって思ってた。それだけのスキルは持ってる。

同時に、高校生くらいの頃から、「早く結婚しろ」ってまわりの大人から言われはじめた。

自分のまわりの子どもたちのなかで私が一番年上だったから、それも当たり前なんだと思ってた。そんなにみんな早く結婚しろって言うんだー。お父さんとお母さんも25歳?そのくらいで私が生まれてるしそんなもんなんだろうなあ。って思ってた。

実際、まわりの友達も、はやく結婚したいって言ってた。はやく結婚して専業主婦になりたいって。それではやく子どもを産むんだ、って。みんな言ってた。だから私もそれが普通なんだと思ってた。はやく結婚したいかって言われたらわかんなかった。だって今生きるのに精一杯なんだもん。将来のこととか考えらんない。


実を言うと、幼稚園の頃から『将来の夢』を持ったことがない。当時セーラームーン全盛期だったんだけど両親は特に興味がなかったみたいで、私がセーラームーンがいい!あみちゃん!ほたるちゃん!って言ってたのに、よくわからないキューティーハニーを与えられて(当時はセーラームーンの偽物だと思ってた。幼稚園児だもん。わかんなくて当たり前じゃん。)、セーラームーンじゃない!!!って怒ったら、せっかく買ってきたのにわがまま言うんじゃありません!!!って怒られた。私が欲しがるものはあんまり与えられることがなかったと思う。七五三で着物着たくなくて大暴れしたとか聞くと大変だなあと思うけどそんなもんだよね子どもって。今思うとね。被害妄想かもしれないけど。きょうだいには与えられてたのにね。不公平だよね。

そんな感じで欲しがっても手に入らないってことを覚え(多分)、与えられるものを与えられるまま受け入れることを覚えた私が一番初めに躓いたのは、幼稚園の年少組のお絵描き。「大きくなったらなりたいものを書きましょう」。大きくなったら?なりたいもの?なりたいものなんてなかった。これだけはちゃんと覚えてる。なりたいものなんてなかった。当時5歳。みんな、おひめさま!とか、ひこうきのうんてんしゅ!とかケーキやさん!とか言ってた。本当にわからなかった。仲良しのMちゃんがおはなやさんって言ってたから私もおはなやさんって言った。それからしばらく、私のなりたいものはおはなやさんだった。別になりたくなかったけど、なにか答えないといけないって思ってておはなやさんって答えてた。ちゃんと年数まで覚えてないけど、小学校3年生くらいまで言ってたかな?とにかく、しばらく言ってた。Mちゃんと一緒におはなやさんになりたい!!とかでは断じてなく、Mちゃんも言ってるしおはなやさんって言っときゃ無難だろ。って。それからあとは将来の夢、なんて答えてたのか覚えてないなー。本当になりたいものがなかった。だって何回も言うけど、いまを生きるのが精一杯だったから。自分の未来にまで考えをめぐらせる余力がなかった。このままずっと、なんとなく生きていくんだろうなって思ってた。


そんな特に夢を持たないまま月日は流れ、高校生にとっての一大イベントがやってきた。進路。勉強だけはできたからね、中学生までは何も言われなかった。小学校から物覚えだけはよくて、勉強だけはできたから、両親から宿題したかどうか見張られてたりしたから勉強できないわけがないよね。学年で常に10位くらいだった。めちゃくちゃガリ勉ってわけじゃないのに10位くらいだったからだいぶ妬まれたけどね。きょうだいにも10位とか余裕だろwってバカにされたけどあいつが人生で1回も私の順位を抜けなかったの知ってるよ。ざまあみろ。勝手にコンプレックス抱かれてるから何にも言わないけどさ。

そんなかんじで勉強だけはできた私が、またちょっと躓いた。進路。でも昔から、お前は子どもが好きだし勉強ができるから先生になりなさいって言われてた。人の役に立つ仕事をしなさいって言われてた。それもいいなって思ってた。安易に、親もそう言ってるし。って、先生になりますって言った。

勉強して受かって、高校を卒業して、大学に入学した。このころにカウンセリングの先生にアダルトチルドレンって言われた。


そして、まわりの友達はどんどん彼氏ができていった。はやく彼氏つくりなよ!っていっぱい言われた。

彼氏かー、べつに欲しいわけじゃないけど、みんな彼氏いるしなーって思いながら、異性の同級生だったりとメールはしてた。会ったりもしてた。でも、どうしてもだめだった。

次いこ次!って次々いろんな友達からいろんな男の子を紹介してもらった。でも、だいたい紹介って、私のまわりだと付き合えるかどうか品定めする感じだったんだよね。知らない男の子から、下心満載の「今度会おうよ」メールがくるわけ。もうその時点でだめ。メールくそつまんないし。だいたい趣味は車いじりかドライブかカラオケ。

ほんとに偏見なんだけど私、車高短だめなんだよね。紹介される男の子、だいたい車高短。その車のパーツ(名前わかんない)とかダッシュボードの白いふわふわもげろって思ってた。

まあ彼氏いなくても楽しいしいいやって思ってた。入学とほぼ当時に実家を離れて、友達と夜中までわいわいやるの楽しかったし。合コンはつまんなかったけど。ウェイの歌うカラオケってだいたい純恋歌オレンジレンジ。ごめんね偏見ばっかりで。ソースは私。

ほんとうに友達とくだらない話しをしたりするほうが楽しかった。『まだ』私には彼氏は早いのかなって思ってた。彼氏いないとか人生楽しいの?!ってびっくりされたこともある。『いつか』彼氏が欲しくなるときがくるって思ってた。

このころに、ブログかなにかだったと思うんだけど、ノンセクシュアルの概念だけは知った。でもまだ決まったわけじゃないし、『いつか』大人になるでしょ〜w私がまだ子どもなだけwって思ってた。


卒業して社会人になっても、その『いつか』はこなかった。

ちなみにまだ来てない。


覚えてる一番昔の恋愛事情は、4歳くらいのときのバレンタインデー。お母さんがチョコを買ってきて、男の子にあげなさいって言った。当時の私のまわりの男の子って、近所の同級生のTくんしかいなかったから、何にも思わずTくんにあげるものだと思ってた。そしたらきょうだいがチョコを食べちゃったの。私はべつにTくんのこと好きじゃなかったけど、『チョコをあげる前に違う人に食べられた』ことに混乱して号泣した。こたつにひきこもった。4歳だよ。生後1,500日くらい。そりゃ泣くわ。で、泣いてる私を見てお母さんはなんて言ったと思う?

「そんなにTくんのことが好きだったの?知らなかった!」

ハイ解釈違い。解釈違いです。出ました人生における解釈違い。私が覚えてるなかで一番古い解釈違い。べつに私はTくんのこと好きじゃない。


社会人になると、はやく結婚したい友達に誘われて婚活パーティーに行くようになった。でもそんな大学卒業ほやほやです!みたいな娘たちが行っても相手にされなかったし、たまに49歳とかのおじさんに連絡先聞かれてまじでドン引きしてた。ダブルスコアじゃん。


婚活パーティー何回行ったかわかんない。なんで私行ってたんだろう。友達に誘われて興味があったからなんだけど、べつにはやく結婚したかったわけじゃないんだよね。いい人がいればいいな〜程度の気持ちだった。

でもモテるんだよねこれが。誰とでも話ができるから。自分を隠せば誰にでもあわせられるから。コミュ強になりきれるから。なめんなよこちとらアダルトチルドレンじゃ!自分を隠すのなんて得意とかそういう問題じゃないぞ!脊髄反射やぞ!!!

友達にはびっくりされた。私が、ずっと異性に興味ナシってスタンスだったのに急にモテるから。ちゃんとしたらモテるんじゃん!!これからちゃんとしなよ!!ってほめられ?て、『ちゃんと』しなきゃって思った。

黒髪ロングでふんわりシフォンブラウスにフレアスカートはいてナチュラルメイクでおとなしく微笑んでればモテる。ほんとこれ。ただし、その姿しか相手は見てない。


まあ、自分を隠してモテてもまったく意味ないんだけどね。それに気づいたのは婚活パーティー行きはじめて2年くらい経ってから。

最初はさ、猫かぶらなきゃいけないと思ってた。かわいいと思われる自分でいなきゃいけない。女の子らしいと思われる私でいなきゃいけない。でも、それが一番つらかった。よくしらない男の人から婚活パーティーに来てるはやく結婚したい女の子というレッテルを貼られ、幻想の中の女の子の姿を私に重ね合わされる。正直、デートの行き先はどこでもいいんだけど会話がクソつまんない。私が相手のことを好きだという前提ですすめられる会話。いやいやいや。そりゃマッチングしたけど私あなたのこと好きなんて一回も言った覚えないんですけど?マッチングって、あなたに興味あります程度だったんだよね私からしたら。でも男の人って、『好き』って思ったからマッチングしたと思ってるんだよね。一回なんでこんなに言われるんだろうって思って聞いたんだよねマッチング相手に。そしたら、えっ俺のこと好きになったからマッチングしてくれたんじゃないの、って言われた。ハイ解釈違い。

この婚活部分も出会った人ひとりひとりレベルでまた書きたい。

で、実際いい人もいたのかもしれないけど私からしたら夢見がちな奴しかいねえ!ろくな奴がいねえ!なら私だって自分の思うがままにやるぞ!!って開きなおって猫をかぶるのをやめた。一緒に行ってた友達からは最初はやめなよって言われた。何も言わずにうん、うん、そうだねって微笑んで相づち打ってればモテるんだからそれでいいじゃん。いちばん楽だよ。って。

わかってるんだよそんなこと。自分のことなんだから。

ワンチャン狙いをなぎ倒し、上から目線野郎をぶった切り、でもなぜか相変わらずモテて連絡先だけは大量にゲットするし情報収集能力はピカイチ。友達からは「一緒に行くと超役に立つ」って言われる。楽しかったよねある意味。趣味は人間観察ですってくらい婚活パーティー行ってた。


この辺りで気付く。あれ?こんなに婚活パーティー行ってたくさんの人と会ったのに彼氏欲しくないし結婚したくないぞ?子どもも欲しくないぞ??もしかしてノンセクシュアルって私のことじゃない?


そこからは早かったよね。ググってノンセクシュアルアセクシュアルの分類を知り、アロマンティックの概念を知り、Twitterのアカウントを作った。ブラックリングも買った。

そしてブログをやろうと思い立つ。今に至る。

いやー、一気に気が楽になったよね。恋愛に興味ないといけないと思ってたから。べつに興味なくてもいいんだって知った。知ってしまった。私は自由を手に入れた。


生きること

ブログに反応もらえるとうれしいね。ありがとうございます。励みになるし、記事が記事だから生きてきたことを認めてもらえた気持ちになる。大げさなじゃないよほんとだよ。がんばって生きてきました。みんながんばって生きてるよね。みんなえらいよね。私もえらいよ。私えらい!!!!!


10年前、アダルトチルドレンって言われた頃から自己肯定感高めようキャンペーンやってるんだけどいまいち効果がない。いや効果はあるんだろうけど。いまいち実感してない。自己肯定感なんて育むことなく、ただでさえないものを削がれる生活しかしてこなかったから。

『やらなきゃいけない』じゃなくて『できる私すごい』に変換していくの。10年もやってんのにまだ完全にできないの。笑えるよね。しょうがないよね。『やらなきゃいけない』で20年近く生きてきたんだから。はやくこの年数が逆転するといいな。


でも自分で自分をほめてるとまわりもほめてくれるようになるよ。ほんとだよ。なんだこの生意気!って逆に抑圧しようとしてくる人もいるけどね。大学生の頃の口癖は「私天才」だった。自分で言ってると友達もつられて天才じゃん!って言ってくれるようになるよ。ソースは私。


いまでも実家に帰ると削がれまくる。だからできるだけ帰らないようにしてる。

なんていうの?自分と他人の区別がついてない感じ。家族でも人としての個体が違えば他人だよ。同一個体じゃない。これがわからないというか、この概念がない人たち。脳みそが違うんだからしょうがないと私は思うんだけど、しょうがなくないんだってさ。同じ考えでいなきゃいけない。からすは赤いって言われたらそうだね赤いねって言わなきゃいけない。違うよからすは黒いんだよって言ったらあんたはなんでそんなこと言うの!!って怒られる。しょうがないじゃんからす、黒かったんだよ。大げさなことに聞こえるけど小さいことでも全部これだからね。食べ物でも服でも、家族が良いと思ったら良い。悪いと思ったら悪い。私の意見は関係ない。私の意見は、通らない。

家族みんなが私を頼る。理由?私が女として生まれてしまったから。いつも言われてた。お姉ちゃんなんだから、女の子なんだから、だからそんなこと言うもんじゃない。するもんじゃない。

そうやって私という個体は個体として認められず生きてきた。ちょっと違うことをしてしまったら家の外に放り出されるか、外の倉庫に閉じ込められる。たとえそれが入浴中でも。濡れた裸のまま。正直いま思うと頭おかしいよね。きょうだいはされてなかったのに。そもそも義務を課されもしない。私だけ義務を課され、少しでも間違ったことをすると罰を受ける。こう書くと壮絶な人生みたいだけど当時の私はこれが当たり前だったから、言うことを聞かず義務を果たさない私が悪いんだって思ってた。だから罰を課されるんだって。反抗期だけはすごかったけど。そりゃ反抗もするよね。今の私からしたらもっと反抗していいよ当時の私。お金あったら家出したかった。私にお金がなくてよかったね、家族。


これっておかしいかも、ってよぎったこともある。小学生じゃなかったと思う。中学生くらいの頃。その日、家にはほかに誰もいなくて、私とおじいちゃんだけだった。私は体調が悪くて朝一度起きたけど昼すぎまで寝てたからみんながいないの知らなかった。目が覚めて水を飲もうと台所へ行った。そしたら、おじいちゃんが食卓に座ってた。どうしたのって聞いたら、お前が起きてこないから待ってたって。なにを?って聞いたら、昼ごはんが出てくるのを待ってたんだって。

炊飯器の中にごはんはあったし、冷蔵庫に作り置きのおかずも入ってた。鍋の中に味噌汁もあった。

やばいと思った。

自分で冷蔵庫から出しなよ〜とかなんとか言って、何が食べたいの?って聞いたら、インスタントラーメンが食べたいんだって。私がお昼ごはんを作りに台所に来るのを待ってて、来たらインスタントラーメンを作ってって言おうと思ってたんだって。おばあちゃんとお母さんはインスタントラーメンは体に悪いって食べさせてくれないからって。

やばいと思った。

この人は、インスタントラーメンも自分で作るっていう考えがないんだ。冷蔵庫を開けようとも思わないんだ。って初めてわかった。

お母さんが帰ってきたとき、このことを話したら、おじいちゃんは冷蔵庫を一度も開けたことがないからねって言ってた。ザ・亭主関白みたいな人だからって。そして普段はインスタントラーメンは作らないからあんたが作ってあげてって。たまにならいいでしょって。

おばあちゃんには怒られた。インスタントラーメンを作ったことじゃない。出かけるときに、おじいちゃんの昼ごはん頼んだからねって声かけたのに!って。返事したと思ったんだって。寝てたのに。聞こえるわけないじゃんね。

なんかもう、今ならいろいろ言えるけど、10代そこそこの私には何にもできなかった。何も言えなかった。とりあえず、いくら体調悪くても、いくら夜更かししても、私が昼すぎまで寝てることはなくなった。たまに、おじいちゃんがひとりで台所で待ってて、私はおじいちゃんにインスタントラーメンを作って洗い物をした。

時代もあったと思うから、誰が悪いとかじゃないんだけど、ずっと誰かのために食事を作り続ける生活はやだなあって考えが浮かんでしまった。


ほんとうに今だからこんなこと言える。過ぎ去ってしまったから。実家はまだあるし家族も生きてるから、たまに帰省したときは現実として戻ってくるけど、今の私には自分の家がある。自分の居場所がある。生活基盤がある。あのころ持ってなかったものをたくさん持ってる。大人になりたくなかったけど、大人になるのも悪いことじゃない。子どものころ、ひとつも楽しいことがなかったわけでもないし実家にひとつも楽しいことがなかったわけじゃない。だけど、安定感?満足感?なんていうの?いまの生活のほうが精神が安定してる。嫌なこともいっぱいある。世間はクソ野郎ばっかりだ。だけど、家に帰ってやりたくないことはやらなくてよくて、自分の居場所があるってだけでこんなに満たされる。そうじだって洗濯だって料理だって、さぼりたかったらさぼっていいんだ。さすがにいちおう社会で生きてるから永遠にすべてをさぼるわけにはいかないけど、どうしても気が向かないときはやらなくていいことにしてる。だって死にゃしないし。


でも、家族からは離れたけど、まわりの人間たちからはあいかわらず義務を果たせと言われる。いろんなことに対して。

たいてい冠言葉は「女なんだから」。

知るか!って感じだよね。女じゃないとできないこともあるよそりゃ。女じゃなくてもできること、いっぱいある。身体機能的に妊娠出産は女体じゃないとできないのはわかるよ。だけどそれは機能的に持ってるだけで義務じゃない。お茶くみは女じゃなくてもできる。細やかな心配りは女じゃなくてもできる。サラダを取り分けるのだって女じゃなくてもできる。

私は生まれ持った環境で、料理も心配りもその他の家事も、『女がすべきとされてること』はだいたいできるようになった。できないといけなかった。これを「女子力〜w」って言われるとほんとうに腹がたつけど、私が女体を持って生まれなかったらきっとできないままだった。そういう意味ではある意味女子力なのかもしれないけど、女じゃなくてもできる。女体じゃないとできないって誰が決めたんだ。もし私が女体で生まれなかったら、インスタントラーメンを作れない、冷蔵庫を開けられないおじいちゃんと同じようになっていたかもしれない。

事実、弟は高校卒業するまでごはんの炊き方も、電子レンジの使い方も知らなかった。インスタントラーメンは作れたけどね。私、ごはん炊くの、小学生のときからやってたけど。


女体で生まれて良かった〜!ってブルゾンちえみばりに思ったことそんなにないけど、とりあえず、削る側に回りたくないからそれだけはよかったかな。

よかったことといえば、推しの女子アイドルの現場では男ファンが多いからその中に女ファンがぽつんといると、アイドルがちやほやしてくれる。爆レス。すごいよ。ファンサがすごい。指差しとかそういうレベルじゃない。一回私と一緒にライブに来てみてほしい。そんな比率だから女性ファンの誘客のために女性限定公演やってくれるのも嬉しいかな。あと女体持ちだから「キャー❤︎」って言えるの、すごく良い。推しが喜んでくれるから。黄色い声援って嬉しいんだって。女性限定公演でアイドルが言ってた。それを聞いてからは黄色い声援を心がけてる。


自分のことを女じゃないと思うかって聞かれたらよくわからない。少なくとも女体持ちだし。男だとも思わない。どちらかと言うと女だけど、私は女だから私なわけじゃない。私は私という人間で、たまたま女体持ちなだけ。女である前に人間だから。

これからも、人間として生きていきたいと思う。

いままでのこと

ブログを書くのは10年ぐらいぶり。

ずっと私は「普通」に生きていたつもりだった。

だけど、「普通」にはどうがんばってもなれないってことに気付いた。


私は10年前、アダルトチルドレンだって言われた。

カウンセラーになるための授業。まずは自分を見つめてみましょうって言われて、回答用紙に答えた。そしたら、私の回答用紙のグラフは、教科書に載っていない形だった。だから、先生に聞きに行った。私のグラフ、教科書に載ってないんですけど。って。そうしたら先生は私のグラフを見つめて、私の顔を見つめて、何とも言えない表情をして、言葉に詰まった。

10年前のことだけど、今でも覚えてる。先生のあの表情。先生の名前も忘れちゃったけど。悲痛な、とも違うし、眉をひそめる、でもないし、なんて言ったらいいのかわからないけど、言いにくそうだった。私はなんで先生がそんな表情をするのかわからなかった。教科書に載ってなかったから聞きに行っただけなのになんでこんな顔するんだろう。そんなに私はめずらしいケースなのかな?とか、能天気なことを考えてた。

そしたら、ちゃんと調べないとわからないけど、って前置きをして、言われた。アダルトチルドレンって。

単語としては知ってた。でも、自分がアダルトチルドレンかもしれないって言われて、妙に腑に落ちた。

授業が終わって家に帰ってから、回答用紙のグラフをネットで検索した。先生に言われたことと似たようなことが書いてあった。

読めば読むほど、私はアダルトチルドレンだったのかもしれない…って気持ちになった。だって、「これ私のことじゃん!」って思うことしか書いてなかった。

物心ついたときから、小さな大人として育てられた。それが当たり前だった。小学生だから、中学生だから、高校生だから、なんて言い訳、許されなかった。やりたくなくてもやらなきゃいけなかった。私の子ども時代はかえってこない。


特に治療はしていない。10年前、先生には、好きなことをたくさんしなさいって言われた。それだけ。私もその時は治療しなきゃいけないとも、治療したいとも思わなかった。ふーん…そうなんだ…くらいの認識だった。

あと、精神科が怖かった。イメージね。イメージ。10代の何もわからない一方的なイメージね。薬飲んでる同級生も何人かいたけど、不安定な子が多くて、私はそうなりたくないって思ってた。就職に不利になると思ってたし。傷ついた人がいたらごめんね。10年前の私はそう思ってたの。


でもこのとき初めて、同級生と自分を比べたとき、「普通」じゃないのかもしれないって気付いた。

一緒じゃないっていうのはわかってた。だって、小学生のとき、こんなに家のことしてる友達いなかったもん。家帰ったらおやつが出てきて、宿題して遊んでたら晩ご飯が出てくるっていうの、概念としてよくわからなかった。料理しなきゃご飯食べられないじゃん。中学生のとき、病気になった家族のお世話してる同級生、いなかったもん。高校生のとき、お小遣いもらいはじめたけど、その中から家族の食費出してる友達いなかったもん。

でも、それが当たり前だった。当たり前だと思って生きてきた。みんなにとっての当たり前じゃないのはわかってたけど、私にとっての当たり前だったから。


10年前、これが当たり前じゃないって気付いてしまった。その瞬間、家族とは暮らせなくなった。だって当たり前だと思って生きてきたことが当たり前じゃなかったんだよ。私にとっての当たり前にしなくてもよかったんだって先生に言われてはじめてわかった。今は先生にすごく感謝してる。名前も覚えてないのにね。先生、がんばったねって言ってくれてありがとう。私はがんばるのが当たり前だったから、もっとがんばらなきゃって思ってた。同時に、怠けることも知ってしまって成績はそこで落ちたし開放感から体重も増えたけどこれでよかったんだ。肌荒れも減ったし。

多分、先生に言われなかったら私にとっての当たり前は当たり前じゃなくていいってずっとわからないまま、私はがんばらないと愛されないんだって思い込んだまま生きてたと思う。

そんなことが10年前にあって、でも人間って生きてるといろいろ忘れちゃう。がんばるってことがもはや脊髄反射レベルで染み付いてるから、今でもよくがんばりすぎちゃう。それで気付く。がんばらなくていいんだ。もう私はがんばらなくていいんだ。やらなきゃいけないって思わなくてもいいんだ。ってそのたびに自分に言い聞かす。もう一生分、いままでの人生でがんばってきたからもうがんばらなくていいんだ。

みんな、がんばらなくていいんだよね。がんばらないと愛されないなんてそんな愛はいらない。でも子どもの頃の私はそれがすべてだったんだ。大人になって自分の世界が広がってほんとうによかった。だいたいの子どもって家庭が世界のすべてなんだもん。もちろん、家庭が世界のすべてじゃない子どももいるよ。自分の知ってる世界がすべてじゃない子どももいるよ。大人になっても自分の知ってる世界がすべての人もいるし。

私は10年前、それを知った。自分の見えてる世界がすべてじゃないし、自分の知らない世界がたくさんある。自分の見えてる世界の常識は、違う世界では常識じゃないかもしれない。知らない世界をたくさん知ることで自分の幅も広がっていくんだと思う。


そんな私は1年前、自分のことをアロマンティック・アセクシュアルだと思った。