それでも

生きていくのってむずかしい。

鉄と血と

人が作品に狂っていくさまを見られるのがインターネットの最大の娯楽って巷で噂だけど、数年前に急に狂ったジャンルがあるからその話をしたいなと思った。当時のツイートも一緒にお送りするよ。

 

いま私にはいろんな趣味がある。女子アイドル、心が領土の、音の地平線の王国と繋がる地平線。あとはアニメゲーム漫画と基本的にオタクが履修するものは全体的になんとなーく履修してきた。なんとなくだからわからないものも当然ある。

私は、「ガンダム」を履修してこなかったからよく知らなかった。そして履修した今でも「ガンダム」はよくわからない。

私が履修したのは「鉄血のオルフェンズ」。めちゃめちゃおもしろかった。

 

最初は、日5でなんか新しいのやってるなあくらいの印象だった。へー、サンライズかー。サンライズあんまり好きじゃないんだよな…肌にあわないっていうか…って食わず嫌いしてた。理由は何かあったわけじゃないけどそういう傾向があっただけ。そしてTwitterのオタクたちからのタイムライン通信学習で背が高くて褐色銀髪金目とかいうフェチ詰め込んだようなのとなんか小さい黒いのがいるってことは知ってた。褐色銀髪金目最高じゃん。だから流し見してた。

だけど私の「ガンダム」に対する知識、「アムロレイ」「親父にもぶたれたことないのに」「赤いのは3倍」「ハロ」「アニメ雑誌で鎖とかいっぱいついた謎の黒い服着せられてる」くらい。昔、同級生たちが下敷き持ってた。種。種死。ほんとその程度。

そんな私がなぜガンダムにハマったのかというと、単純に主人公陣営にハマった。それだけだった。

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狂ったあとの約2か月の推移。

もうね。まず主人公がかっこよすぎた。キャラクターとしてずるいねあれは。

もう作中のキャラクターで例えるなら「三日月さんかっけー!!」なタカキ・ウノ状態。

日5流し見はしてたけどほんとうに流し見でほとんど見てなくて、鉄血ヤバいぞってタイムラインがザワザワしてきて、よしそんなら見てみるかって7話あたりからちゃんと見はじめて、なんやおもろいやんけ…ってなってたところにちょうど一挙放送がはじまってまんまと1話から見返したら、私の知ってる「ガンダム」はそこにはなかった。私の知ってる「ガンダム」ってなんか軍の若手とかお耽美な人たちがキメッキメのピカピカの機体に乗ってビーム撃ってるやつ。違った。鉄血のオルフェンズは1話から鉄錆と土ぼこりのにおいがした。アニメなのに。においがしたんだよ。鉄錆と土ぼこりと汗と機械用のオイルと血も混じって、お風呂に入るという習慣がないからなんならくさい。社会の最底辺で生きる子どもたちがそこにはいた。お耽美とかそんなものの端くれもなかった。あったけど、主人公陣営にはない。敵側の陣営がなんだか私の知ってる「ガンダム」っぽかった。まじめに見てなかったのを本当に後悔した。アニメや漫画って保存用にも加工できる生鮮食品だと思ってるからリアルタイムで体験できるってものすごく貴重だよ。えっやばいこういう話好き…って傾いた心が12話の昭弘とタカキのピンチにドス持って降ってきた白い機体で完全に心を奪われてしまった。バルバトスがかっこよすぎた。物理でドッカンドッカンかますガンダム」をはじめてかっこいいと思った。1話の、バルバトスに乗った三日月オーガスが土の下から地面をやぶるように出てきて仲間のピンチを救った瞬間、12話で降ってきたバルバトスと対比やんけ!!って叫んだ。オタクだいたい対比とか大好きだから。

ここからの私ははやかった。ブルーレイをすぐ予約し、2ちゃんねるガンダムまとめサイトTwitterの考察を読み漁った。そしてガンプラを見かけた。私が惚れた御神体(私はバルバトスのことを御神体と呼んでいるくらい崇め奉っている)が欲しくなった。

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そこはオタクのネットワーク、石を投げれば該当するオタクに当たるを活かして、ソシャゲで同じギルドにいたプラモデルが趣味のオタクに、ガンプラ作りたいんだけどって相談した。そしたら「ガンプラなら小学校低学年でも作ってるよ」って。まじかよ。さすがだな日本のオタクに古来から担われてきた超大手ジャンル。老若男女に対する福利厚生が充実してる。即買った。Amazonで。即来た。即作った。Twitterで実況しながら。大騒ぎしながら作ったから3時間くらいかかった。もうヤバい。語彙とかなかった。あの、めちゃくちゃかっこいい御神体が私の手の中にある。ヤバい。しかもポーズとってくれる。ヤバい。しかも小さくてかわいい。ヤバい。もうこの時点で一部の方はお分かりだと思うけど現時点までにまだつくってないのもあわせてHGとMGが合計で7個くらいガンプラが家にある。もらいもの含め。ヤバい。はよ作れってな。

 

そんな感じでもう盛大にどハマりした鉄血のオルフェンズ、もう今でも引きずるくらい大好き。インターネット調子乗りマンがよく使う「止まるんじゃねえぞ(絵文字)」とかもう見たら私が三日月オーガスじゃなかったことを幸運に思うんだな…🔫って怒り狂うくらい鉄華団残党過激派。あらゆるSNSでこれで何人もブロックしてきた。ごめんね。私とあなたの信じるものが違っただけなの…って酔狂なせりふだって言える。だってバルバトスは御神体だから。

 

正義の反対は悪じゃない、また別の正義だと思ってるオタクなんだけど、鉄血のオルフェンズはそれを地で行く作品だと私は思ったし、今でもなんでこんなに好きになったのかって考えるんだけど、私が主人公陣営を推さない理由を自分自身で見つけられなかった。

いまの日本社会を生きる私たちや、今までの私が知ってる「ガンダム」から見ると、鉄血のオルフェンズの主人公陣営はおそらく「悪」。少なくとも「善良な一般市民」ではない。だって、家族がいる子も何人かはいるけど、自分の出自を知らない、スラム出身の子どもたちがほとんどで、大人たちを殺して会社を乗っ取るし、すぐ武力でなんとかしようとするし、ヤクザと盃交わしちゃうし。なんてやつらだ。でも、ほぼ全員が10代かそれ以下の子どもたちで、ヒューマンデブリっていう奴隷みたいな身分だった子たちもいる。そんな身寄りのない、戦って勝つことしか生き残るすべを知らない子どもたちはこうしないと生きてこれなかったっていうのが作品を通して伝わってくる。必死に生きようと、生き残ろうと、生を勝ち取ろうともがいてた子どもたちだった。私はスラム出身でも奴隷でもない、大人を殺して会社を乗っ取ってもない、武力行使もしたことない、ヤクザと盃も交わしてないどれにも当てはまらないけど、生きようとしてた子どもたちが尊すぎてだめだった。あとは単純に三日月オーガスの乗ったバルバトスがかっこよすぎた。バルバトスがかっこよすぎて、バルバトスがかっこいいたびに三日月オーガスの白兵戦を見せろって騒いでた。ヤバいよ三日月オーガス

 

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あと、私はこの作品をリトマス試験紙みたいなものだと思った。完全にじゃないけど。その人がいままでどう生きてきたのかがある程度あぶり出されてしまうおそろしい作品だと思う。物語やキャラクターに対する趣味とかもあるから完全にではないけど、この作品を見て感想文を書け、鉄華団ギャラルホルンどちらにつくか、って聞いたとき、その人のいままでの人生やものの感じかたがあらわれてしまいがち。少なくとも私の見てきたオタクたちはそうだった。だから双方のオタク見てるものが一緒なのに反対側から見てるからだいたいわかりあえないしすぐ喧嘩する。あ、マクギリスは別カウントね。

 

この作品のキャッチコピーは「いのちの糧は、戦場にある。」。本当にそうだった。生き抜くためにずっと戦ってきた子どもたち。生きるためには戦うしかなかった子どもたち。さっきあぶりだしって言ったけど、どちらかというとアダルトチルドレンの人たちには鉄華団が刺さって刺さって抜けない作品だと思う。現に刺さったオタクをTwitterで見るとそういう傾向がある。気がする。傾向があるってだけで100%ではない。私調べ。

個人的にアダルトチルドレンの人たちに見てほしいけど体に不調をきたすからあまりおすすめできない作品。マジで一時期「見たら体調が悪くなるアニメ」って有名だった。私は最終的に胃カメラ飲んだ。展開がつらすぎて発熱したとか号泣しすぎて涙が止まらないとか夢見が悪くなるとかしょっちゅう言われてたけどそのくらいのめりこめてしまう作品。本気で見ると体調不良になるかもしれないけど見てほしい。私と一緒に体調を崩そう。私はいまでも友達に「ガンダムの展開がつらすぎて胃カメラ飲んだ女」って呼ばれる。その通りだが何か。

こんなプレゼンにもなってない地獄への招待状みたいな文章で作品を見てくれる人がいるとも思ってないけど、気になったら呼んで。すぐ飛んでいくから。なんならガンプラあげるから一緒に作ろう。

 

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そして私と一緒に鉄華団残党過激派になろう。ギャラルホルン推しになったら教えて。争わずに生きていきたいから。

わたしのアイドル

お題「わたしのアイドル」

 

お題ってなんだろうってスロットまわしてたらこりゃあ私にどストライクだぞってテーマがあったからよっしゃいくぞと腰を上げた。

 

わたしのアイドル。って言われて一番先に思い浮かんだのは推しのこと。私にはアイドルの推しがいる。

隠すまでもなくどころかインターネットでは大声で言ってるけど、私はドルオタだ。右手に光る棒、左手にうちわを持ち、推しのデザインしたTシャツを身につけ、「超絶かわいい!」ってライブ会場で推しの名前を精一杯叫ぶタイプのアイドルオタク。

オフラインで「アイドルオタク」って大声で言うと、いろんな偏見の目を向けられるから言ってないだけ。だけど、二次元オタクとアイドルオタクを天秤にかけたとき、アイドルオタクのほうが許される感ない?私だけかもしんないけど。10代のころ、それこそ隠れキリシタンのように二次元オタクが肩身狭かったことを思うと近年は二次元オタクも市民権を得てきていると思うけど、それでもまだ三次元を推してるってことのほうが市民権を得てると思う。アイドル戦国時代だし。ジャニオタなら10代のころはまわりに何人かいたし。女体で女子アイドルを推してるってことにはだいたいなにか一言言われるけど。

私が女体で女子アイドルを推してることに対して「女の子が恋愛対象なの?」とか「アイドルになりたいの?」とか言われるけど全部解釈違いだからちげーよ!!!!!って言う。

 

私は女の子のアイドルが好き。板の上でキラキラ輝きながら、それこそ命を削りながら輝いてくれる女の子を応援したい。命を積極的に削ってほしいわけじゃないんだけど、ひとは削られたときに一番輝くっていう801ちゃんの説を見て、「それだ…!!」って思ってしまった。削られてほしくなんかないんだけど、輝いてる彼女たちはまちがいなく何かを削りながら輝いてる。アイドルでいてくれてありがとう。ほんとうにありがとう。

でも、女の子のアイドルを好きになろうと思って好きになったんじゃなくて、好きになったアイドルがたまたま女の子で、そのままそのグループごと好きになっただけ。9年くらい前かな。

 

私がいちばん初めに好きになったアイドルの女の子は松井玲奈ちゃん。もうとっくの昔にグループを卒業して、今は俳優と作家をしてる。テレビでMVを見て、かわいい!って思ったのがこの子だった。で、ネット検索してどっぷり浸かっちゃったよね。

 

次に好きになった女の子は小野晴香ちゃん。この子も、なんなら最初に好きになった玲奈ちゃんより前にグループを卒業して、ガールズバンドのボーカルをしてたけどグループが解散になって、いまはタレントみたいな感じ。たまに表舞台に出てきてくれる。SNSは続けてくれるからゆるく見守ってる。リツイートも見にくるしエゴサもしてるみたいでフルネームでこの子についてツイートするとたまにとんでもないツイートにリプライをくれる。夜中にこの子のことを思い出して昔のDVDを見まくって、あああはあちやんやっぱり好き😭😭😭かっこいい😭😭ヤバい😭😭😭😭😭ってわめいてる気の触れたようなツイートにも、ありがと(笑)って言ってくれる。ヤバくない?ヤバいよね。推しのいる全人類、羨んでいいよ。推しに狂ってるさまを推しが笑ってくれる。リプライもらった瞬間はまた気持ち悪い姿を推しに見せてしまった…って落ち込むけど、推しからリプライをもらったという事実だけで強く生きていける気がするからすごいよ。ささやかなよろこびどころじゃないよ。でっかいよろこびをつぶれるほど抱きしめるよ。はあちやんのそういうとこ好きです。

 

その次に好きになった女の子は、大矢真那ちゃん。数年前グループを卒業して、今はタレントをしてる。舞台にも出てたしラジオもしてる。こんなに好きになった女の子はいないってくらい応援した。ライブが当たったら日本全国遠征して、新幹線なんて走ってない日本海側を仕事終わりに夜行バスに飛び乗って始発のローカル電車を乗り継いで会場についてライブ終わってからその逆をして仕事に行ったこともある。この子が卒業が発表したとき、いてもたってもいられなくて、応援してるしこれからも応援するってことだけどうしても言いたくて、仕事を無理矢理休んで人生で初めての握手会にも行った。握手会に行ったのはいまのところそれっきり。

どこが好きなのかって言われたら、アイドルに対する誠実さかなと思う。ずっとまっすぐにアイドルと向き合ってくれた。真那ちゃんの中の理想のアイドル像を追い求めてくれた。ずっとずっと誠実で正直なアイドルでいてくれた。ほかの子が誠実じゃないって言いたいんじゃないけどさ。「公演は裏切らない」って言ってずーっとステージに立ち続けてくれた。選抜で忙しかったはずなのにアイドル活動と大学を両立させて4年間ストレートで卒業して卒業式で表彰されてたのかっこよすぎた。ステージの上の真那ちゃんも、ステージ以外の場所の真那ちゃんも、私たちに見せてくれた姿しか知らないけどすごく好きだった。食べることが大好きでおいしそうに食べてる姿最高だった。ステージの上で体をせいいっぱい動かして大きくでも丁寧におどる姿最高だった。いちいち喋ることが誠実すぎて、オタクからは教祖様とか言われてたの当時はうるせえって思ってたけどもはやひらきなおるよ。そうだよ。私は真那ちゃんの信者だしそのくらい筋を通してくれる子なんだよ。好きすぎて卒コン光る棒とうちわ振りながら3時間泣き続けました。今でも好きなんだけど、好きすぎてまた亡霊みたいになってるからファンクラブイベントとか行けてない。好きなのに。こんなに好きなのに。行けない。一歩が踏み出せない。推しは推せるときに推さないといけないってみんなも言ってるし私も言ってるしわかってるのに、行けない。なんでなんだろう。

 

ここまで挙げた3人は同期だから、好きになった順が知った順ではあるけど同時進行で推してて、とくに好きな子って意味での推しはいるけどグループみんな好き!って感じだった。

 

箱推しみたいなもんだったからほとんどみんなのことが好きだったからひとりひとり語れるけど、この最後に挙げた子と同時進行でめちゃくちゃ推してた子があとふたりいる。

 

ひとりはもう卒業しちゃった。神門沙樹ちゃん。もともとアイドルにあこがれを持って入ってきた子じゃなかったし長く在籍しないだろうなと思ってたところはあるけど、家庭の事情だったからしょうがないけど、思ったより卒業がはやくて、いまだに「亡霊」をやめられない。(注:「亡霊」…卒業したアイドルのことを忘れられずステージ上には見えないはずのその子の姿を追い求めるオタクのこと)この子のためにもはやく成仏したい。今でもたまに思い出して、ステージに立つあの子が見たい…って思っちゃうけどこういう亡霊を多分あの子は一番嫌いだからやめなきゃとは思う。でもやめられない。ごめんね。

まず顔が好きだったのもあるけど地元が近くて、ローカル番組でもたくさんとりあげられてたし、地元でいろんなキャンペーンもやってくれてた。繋がりとかは一切ないけど多分本気で辿ったら狭い田舎だから見つけられるんだろうなと思ってしまう。そんなことオタクとして絶対したくないけど。

でもこの子はお披露目を見てしまったのもあって、「支えなきゃ…」ってなってた。お披露目ってなんか違うの。1回しか見たことないけど。採用のされかたになぜかオタクから叩かれながらも初めてのステージで(しかもドーム)緊張しながらがんばっておどるこの子を見てしまって、前述のとおり常に装備してる光る棒をめちゃめちゃに振って「超絶かわいい!!!!さきちゃん!!!!!!」って叫んだ。あの瞬間、特別だった。まわりのオタクにやべーななんだこいつって顔で見られたけど後悔は一切してない。私だいたい女子アイドル現場行くと99%おじさんしかいないから常に浮いてるからジロジロ見られるのももう慣れた。やめろ私を見るな。私の推しに集中させろ。そして女オタクなんかただ外側の皮が違うだけで中身そんな変わんないからおまえの推しに集中しろ。

 

私がいま推してる子は、そのうちのあとひとり。江籠裕奈ちゃん。いま19歳。小学校6年生の11歳の頃からグループに所属して、ずっとがんばってる。なんでこんなに良い子がこんなに長い間このグループにいてくれるんだろうって疑問を持つくらいずっといてくれてる。少し前から選抜常連にもなって、いろんなメディアにも出られるようになって、高校を卒業したから深夜番組にも出られるようになった。入ったばっかりの頃はいわゆるぶりぶり系のロリかわいい曲しかさせてもらえなかったけど、今はかっこいい曲もセクシーな曲もほんとうにいろんなことをやってくれる。可能性の幅が無限大で最高。えごちゃんが新しいことして可能性を見せつけてくれるたびにTwitterで大騒ぎしてる。この前はモデルさんしてたし、しっかりしててMCもまかせられるようになったし、なんなら若手の中で座長みたいなこともしてる。こんなに推してて楽しい子はいないってくらいいろんなことを見せてくれる。あと、正統派アイドルの名前をグループの中ではほしいままにしてる。推しの欲目かもしれないけど。この子には汚れ役はやってほしくないなあと思う。本人もやりたがってないし。いつまでも正統派のままでいてほしい。かわいいは正義。推しのわがままなのはわかってる。でも、あと何年アイドルをやってくれるかわからないけど、まだがんばるって言ってくれてるから私もドルオタを続けられてる。いつになるかはわからないけど、この子がいつか卒業する時が私がドルオタを卒業するときになるかもしれないなって思うくらい好き。その点ではいまはこの子しか見てないかな。ほかに推しがほしいとも思ってないけど。この子のためにも全国遠征してるなあ。ライブが当たったら行くって感じだけど。当たらないと行けないからなかなか会えないけど。

 

そもそもこの子たちが活動してるSKE48というグループの本拠地は愛知県の名古屋市栄。愛知県が私の住んでる地域とは離れてるから、会いに行くだけでも遠征になる。夜行バスか、始発のローカル電車から新幹線を乗り継ぐか、飛行機の移動。そこまでして会いたかった。会いに行きたかった。輝いてる彼女たちを見たかった。会いにいけるアイドル。でも私はステージの上の彼女たちに会いたい。

握手会はまだ、真那ちゃんに会いに行った1回きりしか行ったことない。ライブの最中にも、何回も言うけど99%おじさんの中に女体がぽつんといると目立つし私の席運もパないからアイドルにだいたいちやほやしてもらえるどころかけっこうな確率で爆レスで、だいたいとなりにたまたま居合わせたオタクに「やばくない?」って言われるし、ライブ後のお見送りでもアイドルにまたきてね!って言ってもらえる。それだけでしあわせ。ほんとうは握手会でこの感謝の気持ちを伝えられたら一番いいんだろうけど、握手会に行きたいんじゃないんだよね。ステージの上で輝く彼女たちを応援したい。そしてその輝きを浴びたい。

「アイドルなんか応援しててなにが楽しいの?」って言われたら、ありきたりな回答だけど、「元気をもらえる」って言うと思う。生きていく勇気をもらえる。この子の未来が見たいから応援しよう、私もその未来を見るまで生きようって思える。私にとって推しは拝むもの。触れるものじゃない。推しを崇め奉るオタク、これからも推しを精一杯推して生きていこうね。

寛容ということ

アセクシュアルをいつか説明するべきときが来たらどう説明しようかと考えてた。

 

 

LGBTって知ってる?レズビアン、ゲイ、バイ、トランスジェンダーね。ここまでは有名なやつ。このLGBTのあとにQAってつくの。クエスチョニングとアセクシュアルね。ほかにもいっぱいあるんだけど、今日はここでやめておくね。

私は自分のことをこの「A」、アセクシュアルだと思ってるの。

 

アセクシュアルって聞いたことある?聞いたことない人のほうが多いと思う。私も調べるまで知らなかった。

アセクシュアルは「恋愛感情を持たない人」なの。

レズビアンは女性を好きになる女性。

ゲイは男性を好きになる男性。

バイはどちらの性も好きになる人。

超簡単に言うとアセクシュアルはバイの逆。

 

どの性別も恋愛感情として好きにならない人のことをアセクシュアルって言うの。

私は自分がこれに該当すると思ってるの。

恋愛感情として好きにならないだけで、友情や親愛としては人を好きになるよ。

 

偏見かもしれないけど、恋愛至上主義の現代ではまだあんまり受け入れてもらえてないかな。

 

アセクシュアルの私たちがよく投げつけられるのが、「まだほんとうに好きな人に出会ってないだけだよ」「人を好きになる気持ちを知らないなんてかわいそう」とかそんなかんじの言葉。

ほんとうの好きってなんだろうね。

好きにも本物と偽物があるんだね。誰が決めるのかな。

ちなみに余談だけど私の推しのうちのひとりは「幸せに本物と偽物があるのか」って言いながら死んでいった。幸せの本物と偽物って誰が決めるのかな。私の幸せはあなたの幸せではないし、あなたの幸せは私の幸せではないのにね。

 

友達のことは好きだし、信用できる人のことは人として好きになるよ。人としての好きの上位に恋愛の好きがくる世界は、恋愛感情がよくわからない私には少し生きづらい。

好きな人とは一緒にいられるだけで私はしあわせだよ。

 

「性行為を伴わなくてもパートナーは作ることができる」ってみんな言う。そうだね。そうであってほしい。

だけどそれと同時に私は、パートナーを持たない人が、社会的信用がないって後ろ指を指されることのない社会になってほしい。

パートナーがいるかどうかってその人個人の人間性や社会的信用とは関係ないと思ってるから。

 

私は私のパートナーになってくれる人なら性別は問いたくない。だけど現代社会では異性同士でなければ日本では結婚ができない。

結婚という枠にとらわれたくないけど、一緒に生きていくなら結婚をしないとパートナーとして社会的に認めてくれないから、私は女体持ちだから今のところ見つけるなら男性からがいいなあとは思う。

 

ていうかいろんなしがらみから解き放たれたいんだよね。

◯◯はこうするべき、って理論滅べばいいと思ってる。

 

みんなの生きる権利が守られたうえで、みんなが加害者にも被害者にもならず、みんなが好きなように生きられる社会になってほしい。誰にも関係ないところで後ろ指を指されないし関係ないところで誰にも後ろ指を指さない社会。

理想郷だっていうのはわかってる。理想で生きていきたい。

 

 

 

 

 

 

ステレオタイプ

私は、学生のころ、ステレオタイプについて研究をしていた。

なんの研究かって言われると難しいけど、ステレオタイプから外れれば外れるほど、他人の記憶には残りやすいっていうことがわかった。

 

みんな心のなかにステレオタイプを持ってる。

私だって、持ちたくて持ったわけじゃないけど、人的環境から影響を受けて、知らず知らずのうちにみんなのなかに形作られていく。

持ってない!!って自信をもって発言する人だっているかもしれない。

もしかしたらほんとうに持っていないのかもしれない。心のなかを覗くことなんて誰にもできないから、ほんとうのことは誰にもわからない。全員が持っていると私は思っているから、全員がステレオタイプを持っているという前提ではなしをする。

 

少し前に話題になった映画がある。「ズートピア」。私ね、この映画すごく好きなんだ。そりゃあ腑に落ちないところはあるけど、作品として好きだから好き。金曜ロードショーでこの前やったときに大騒ぎした。ズートピア。見たことない人がいたらぜひ見てほしい。主人公のうさぎが最高にかっこよくてかわいい。

ズートピアも、ステレオタイプに言及する映画だったなと思う。

「動物」に対するイメージ。ズートピアに出てくる動物でたとえると、うさぎはかわいくてかよわい、きつねはうそつきでずるがしこい、ライオンはかっこよくて強い。

ほんとうにそうなんだろうか。

長くて短い人間の歴史のあいだに形作られてきたそれぞれのイメージ。きつねなんて西洋東洋問わず、ひとをだます動物だと思われてる。でも、それは物語のなかの話だ。ほんとうにきつねが化けてひとをだましたことはあるんだろうか?これもステレオタイプのうちのひとつだと思う。

ズートピアの動物たちは、擬人化されたキャラクターで、現実を生きているいきものではないのもわかってる。

主人公はうさぎの村でうまれたうさぎで、女で、警察官になりたい。うさぎはにんじんを食べるものだから、うさぎの村ではにんじん農業が主な産業みたいに描かれている。主人公の両親もにんじん農家だった。この世界では警察官は肉食草食問わず大型の動物がなるもので、うさぎの警察官は過去にいない。女の警察官もほとんどいなかったんじゃないかな?警察学校の教官の声は女かな?と思ったけど。主人公と同じトイレ入ってたし。そんな世界で主人公は警察官になった。にんじん農場を飛び出して、ライオンや、サイや、大型の動物に囲まれて生きていくことを選んだ。警察学校での成績は主席だった。

だけど、現実に待っていたのは「うさぎにみんなと同じ仕事は任せられない」と、みんなは危険な事件を調査しているのにひとりだけ駐車違反の取り締まりをわりふられる。

 

こういうこと、現実の世界でもたくさんある。

 

「女性初の○○!」とか、「男性初の○○!」ってメディアでよくとりあげられてる。

私も現実の世界では似たようなあつかいを受けてる。ある分野での成績はピカイチだったと自負するけど(だって2年連続そういう結果の数字がでてる)、ほとんどの人がそれを認めない。少しずつ伸びてはいるけど女の比率が低い男社会に飛び込んだから。べつに覚悟を飛び込むつもりはなかったけどうっかり飛び込んじゃったから。そうしたら、50人そろった会議で女は私ひとり、なんてことざらだった。まわりは全員男。見た目が20代だから、私が意見したとしても「若い女が何か言ってるぞ」ってかんじ。どこに行っても若い女としてあつかわれる。時には丁重に、時には辛辣に。これ、ひっじょーーーーーに腹が立つ。私が結果を出してるのは数字があらわしてるのに、それを知ってるのか知らないのか、「若い女だから何も知らない」(イコール、ばか)という前提であつかわれる。得意な分野のことは誰だって知ってるし、不得意な分野のことは誰だって知らなくて当たり前なのに、私がある分野に関して知らないことがあると「若い女だから知らないんだ」って言われる。うるせえ。うるせえof theうるせえ。

だれも丁重にお姫様のようにあつかえなんて言ってない。「若い女はなにも知らない」って固定観念、世界中にステレオタイプとしてはびこってる。

 

もうひとつ好きなものを紹介すると、「青のフラッグ」という漫画がある。

 

青のフラッグ 5 (ジャンプコミックス)

青のフラッグ 5 (ジャンプコミックス)

 

 

ジャンプ+ってアプリで数話は無料で読めるから、ぜひ読んでみてほしい。いま最新刊は5巻だし。ひとつ600円プラス消費税だから、3,240円あれば全巻手に入る。増税前にぜひ。

で、この漫画に、真澄ちゃんって子が出てくる。32話で、ステレオタイプで決めつけられて怒ったマミちゃんって子に、真澄ちゃんが言うんだ。「それが知恵」って。「経験や、知識に基づいて、予測し警戒し、危険を回避。時には攻撃して排除する。本能に従った合理的な防衛策。生き物は未知を恐れ、知恵のある者は今まで見たことのあるもの、既に知っているものと近いものを当て嵌め、分類し安心を測る。」って。これ、すごくわかるんだよね。わかるんだけど、だからといって他人をステレオタイプにあてはめ、勝手に他人の人格を形作ってはいけない。心のなかで思っているだけなら自由だけど、「あいつはこういう見た目だからこうに違いない」「あいつはこういう属性だからこうだ」って言いふらしてはいけない。

 

ステレオタイプの中にも、ほんとうのことだって混じっていると思う。

事実があったから、形作られていくものだから。ただ、全員がそうではないということを忘れてはいけない。自戒も含めて言うよ。条件にあてはまるすべての人がそうだと確信してはいけない。

 

そしてこのステレオタイプから離れれば離れるほど、他人に印象が残りやすい。ステレオタイプに当てはまったものは、「いつものこと」として流れていきやすい。私が学生のころ研究していたこと。

簡単なことだと、たとえば、「B型の人間は自己中」。よく血液型占いで聞くやつだね。とても献身的で自分のことなどかえりみない血液型がB型の人がいたとする。「B型の人間は自己中」というステレオタイプを持つ人々のなかでは、そんなB型の人間は特異点でしかない。「B型『なのに』自己中じゃない」。

自己中なB型の人間を見て「あーB型だもんなあしょうがないなあ」としか思わない人が、「B型なのに!私の中の常識と違う!!」となる。そして、記憶に刻まれる。

ちなみに私は血液型占い、ずっと信じてないからこの説はよくわからないけど、研究したときにいちばんよく他人に理解してもらえる説明方法がこれだった。すごいよね。血液型で人間が分類できると思っている人間がたくさんいるんだよ。

でも、これは私の中のステレオタイプ。「血液型占いを信じている人は固定観念にとらわれやすい」。理論的な話が通じにくいともいう。ソースは私。それがいいとか悪いとかの話ではない。だからばかなんだ!!とかは思ってないよ。そういう人もいるって思ってるだけ。

相手にほんとうに効くかはわからないけど、印象付けたい相手がいるとしたら、ステレオタイプからはずれた行動をしてみるのも手かもしれない。意図してやったことではないけど、私は「女なのに」いまの仕事をしているおかげで、覚えてもらいやすい。良くも悪くも。私はどちらかといえば内向的だから積極的に顔を売りたいわけではないけど、覚えてもらっておくとあとあと有利に働くこともある。ただ、こっちも相手を覚えないといけないけど。アイドルに興味ない人がアイドルの顔が全員同じに見えるように、おじさんに興味ないからおじさんの顔が全員同じに見える……。背が高いか低いか、太っているか痩せているか、髪の毛があるのかないのか、眼鏡をかけているのかかけていないのか。そのくらいの違いしかわからない。もっとキャラ立ててほしい。埋もれてるぞおじさんたち。

学生のころこういうことを研究してたおかげか、自分に付属するステレオタイプがなんとなくわかる。私に会ったことがある人はすがたかたちを思い出してほしい。

20代の女、独身、髪が長い、臆さない、強そう、痩せている、あげればきりがないけど、そこから私に対する属性が他人の中で形作られていく。

若い女はばかだ、って思っているおじさんの多さにはあきあきするけど、逆手にとって、じゃあやっといてくださ~いわかんないんで!シクヨロ~!!って押し付ける。

20代で独身だから今すぐにでも結婚したいんだろう、イケメンが好きなんだろう、って言われると、そりゃ見るだけなら顔は良いほうがいいと思うけど、好きで独身やってるし私にメリットがあれば結婚しますけど??ってかえす。これは単純にそう思うだけ。

臆さないしはきはきしてるから不倫したとしても秘密を守ってくれそう、やらせてとか言ってくるクソジジイは控えめに言ってそのまま永眠してほしい。あとそういうことは絶対秘密にしないし大声で世界に向けて発信していこうと思う。実名出すとこっちも身バレするから実名は出さないけど、とある町のとある団体の所長さ~ん!!あなたの人間性がクソなのはわかったんで金輪際近寄りませ~ん!!!

 

なかなか自分が持っているステレオタイプ、自分が勝手に周りから持たされているステレオタイプをはっきりと認識することは難しいけど、もしどちらかに気づいたらそれを活かすのか捨てるのかは一度考えてみてほしい。「たとえマイナスなことを言われても自分のプラスになるようにかしこく生きるべき!」とかいうよく巷で渦巻くクソみたいな理論を展開するつもりはないけど、自分をすこし変えるだけでまわりの世界もすこしだけ変えられるかもしれない。今まで持っていたものとは違うステレオタイプを持たされることにはなるけど、どちらが良いのか選択はできる。現実は物語ではないからすべてがハッピーエンドとはならないけど、あがいてみるとたまに良い方向に転ぶこともある。私はいまのところそう思いながら生きてる。

恋愛の定義

婚活パーティーに行きあきて、恋活アプリをとっかえひっかえしてた時期がある。

有名なアプリはだいたいやってみた。

いいね!がたくさん来る。知らない男の人たちから。

私の異性に対するハードルって、「まず会話のキャッチボールができること」なんだけど、これが果てしなく高いハードル。一見低そうなのに、婚活やったことある人ならわかると思うんだけど、下手したら富士山より高いハードルかもしれない。こっちが勝手に設けてるだけだからハードルって言わないのかもしれない。条件、でもなんでもいいや。

アプリ上だからまず、相手のスペックが画面に表示される、写真を載せてる人もいる。

これ言うとすぐ、「女は見た目でしか判断しない!」って鼻息荒く絡まれるけど、まず写真でうーん…と思ったら、いいね!はかえさない。

だって死ぬほどいいね!来るんだもん。全員相手できない。

で、私の場合、いいね!をかえしてマッチングしたとしてもそれはイコール付き合うこととは繋がらない。話してみてもいいかな?って思っただけ。

このへんは婚活パーティーと一緒だよね。マッチングは、好きです付き合いましょう。っていう言葉じゃない。ただ、マッチングしただけ。

マッチングしたら、メッセージのやりとりをするんだけど、だいたい一言目はそろって「はじめまして!仲良くしてください!」。

これ、定型句でもあるの?ってくらいみんな送ってくるよ。ほんとうにおもしろいくらいこれしか来ない。ソースは私。

相手に聞いたことあるもん。「みんな一言目それしか言わないんだけどなにかで教えられるの?」って。明確な答えは得られなかった。だいたい、私が変なやつだと思われて終わる。あと、「仲良くできるかはまだわからないかな〜」って言うと、高飛車なやつだと思われるみたいだね。だって私は、仲良くできるかは話してみないとわからないと思ってるから、そのための会話をしたいんだけど、相手はだいたい、このスペックなら付き合えるんだよね?って前提でくる。どこ住み?緑やってる?黄色?

ふたりだけ、「緑」を教えた人がいる。そのうちひとりだけは、会った。

もうひとりは、TwitterのIDを教えてもらったからどんなもんかと鍵垢から見に行った。フォローはしてない。そしたら、現場で会ったもしくは現場で会うかもしれない女のレイヤーさんに誰でもかれでも絡みまくって下心満載のリプライ送ってて、ドン引いてしまった。で、多分趣味があわないからフォローしないってメッセージを送った。そしたら、「みんなそう言うんだよね…女の子と仲良くなりたいのに仲良くなれない…なんでなんだろう…」って人生相談がはじまった。

私「なんで女の子と仲良くなりたいの?」

相手「男とは仲良くなれるのに、異性と友達関係が築けないから」

私「男友達はいるなら、同じようにしてみたらいいんじゃない?」

相手「同じようにしてるつもりなんだけど、仲良くなったと思ってもみんな離れていく…男友達から、女にがっつきすぎとかコミュ障って言われる…」

私「そりゃ、女だ!!!!って飛びついたら女側も引くと思うよ。少なくとも私は引く。」

相手「そっか…とりあえず、君はオタクに理解があるから仲良くなりたい」

私「私はオタクに理解があるんじゃなくて自分がオタクなだけだし、オタク同士だからうまくいくなんてことはないよ。友達だと思って近寄ったら下心出されたら、多分ほとんどの人は逃げるよ」

相手「下心出してるつもりはないんだけど、仲良くなれないんだよね…」

延々にこんなかんじ。

これで、ちょっとだけわかった気もする。

この人、なにが下心なのかわかってないんだ。って。異性が出会う→仲良くなる→恋愛感情が芽生える っていう流れがほんとうに自然なものだと思ってる。否定するわけじゃないよ。そういう流れのひとたちもいるだろうし。ただ、恋活アプリでこの人と出会った私が言うことじゃないかもしれないけど、知らない人や好きじゃない人からしつこくされて嬉しい人って少ないと思う。もうこの人とは連絡をとってないけど、Twitterのアカウントは一方的に知ってる。探せばどこかにあると思う。今日も元気にソシャゲして、レイヤー女子にリプライ飛ばしてるのかな。


でね、話を戻すと、唯一アプリで会った人、趣味も似てるし生きることに対してのスタンスも似てるし、顔はイケメンでもなんでもなかったし背は私のほうが高かったけど、それはどうでもよかった。この人なら仲良くなれるかもって思ってた。何回か会った。3回くらいかな。ごはんだけだけど。執拗に家に来てよ〜って言うところだけやだなって思ってた。それがなかったら多分仲良くなれるって思った。あと、「女ってホ別1とか言ってくるよね〜。ブスだったりした時はこっちが金もらいたいくらいだわ」って発言ひっかかった。

だから、付き合ってよって言われたとき、ほんとうに迷った。しつこく家に来ては言われ続けてた。うち近いからこのままおいでよ、って感じだった。

迷ったから、「ノンセクシュアルでググって」って言った。

その結果、「いちゃいちゃできないの?」「キスもだめなの?」「もっと付き合ってるってことを実感したい」などなどのお言葉をいただき、「家に来てくれないと困る」となぜか困られたので、「私は困らないから」って言った。

これ、友達に言ったんだけどいまでも言われる。「困らない女」って。だってしょうがないじゃん!!私は困らないんだもん!!!

ほんとうにね、仲良くなれると思ったんだよ。会話のキャッチボールができる。ほんとうにめずらしいよ会話のキャッチボールができる人。その上に話があうんだから、奇跡だと思った。本人にも伝えた。すごいよって。会話できない人ばっかり見てきたから会話できるだけで神に見える。ってほめた。けど、その人からしてみれば、私たちはただアプリで出会った男と女で、男と女が付き合うときは、性欲がかならずくっついてくるらしい。

この人とはその後偶然街角で再開した。久しぶりって言われたけど、話したくなかったから無視した。ごめんね。私にとってはけっこう、決定的な一撃だった。この人なら仲良くなれるかもしれないって思ったのに。男同士だったら友達になれてたかもしれない。でも、そもそも男同士だったら出会うことはなかっただろうな。だって出会いが恋活アプリだから。普通に生きてたら多分出会わない。せっかく出会ったんだから、友達にはなりたかったな。こんなこと言うと引きずってるみたいだけど、引きずってはないよ。わかりあえないっていうことがわかった。その後、会おうよってメッセージが来たけどブロックした。そのまま元気でホ別1してくれ。そのかわり私にはかかわらないでくれ。


「緑」も教えなかった、会わなかった人たちのことを思い出すといろいろあるけど、一番強烈だったのは、秒で返信してくる人。私もちょうどひまだったから返信してたけど、返信を打ってるあいだに次のメッセージが来る。いくら課金してんだ。すげえな。って思いながら打ってた。

その頃私はプロフィールにノンセクシュアルって書いてて(「ア」セクシュアルより「ノン」セクシュアルのほうが伝わりやすいと思ってノンセクシュアルを使ってた)、ノンセクシュアルって何?って聞かれたからggrksって言った。

秒でググってきたみたいでどこかのブログのリンク貼られた。

相手「何これ?こんな人いるの?」

私「ここにいるじゃん」

相手「そもそも付き合えないからそんなこと言ってるんでしょ?」

私「付き合うか付き合えないかは知らんけどモテるかと言われればめちゃくちゃモテるぞ」

相手「顔見えねえもん妄想乙」

相手「でもヤれないんでしょ」

私「したくない」

相手「それって彼氏どうすんの?風俗行くの?」

私「そんなん勝手にしろよ」

相手「付き合ってる意味なくない?」(多分この辺で相手ヒートアップ)

相手「ねえ、無視?彼氏が風俗行っても許せるの?」

相手「浮気されまくりじゃん。浮気してもしょうがないじゃん。浮気許せるの?」

相手「お互い相手は別にいるとかにしないと無理じゃん」

相手「そこんとこ定義しとかないと続かないよ」

相手「あんたと付き合って何のメリットがあるの?」

相手「何にもできないんでしょ?」

相手「無視かよ」

相手「ヤれないくせに無視してんじゃねえよ」

私「あんたと付き合うことなんて絶対ないからあんたと定義したって意味ないでしょ」

相手「顔真っ赤wwwww」

なぜかここでブロックされた。ブロックするならこっちのほうだっつーの。あとこんな感じのこと言われたなーくらいの文言でごめん。ほんとこんな感じ。打つ暇もなく次の文章が送られてくる。無視してたんじゃないよあきれてたんだよ。

でも、「そこんとこ定義しとかないと続かないよ」は一言一句間違えず覚えてる。

ありがとう。名前も覚えてない煽り野郎。そうか、最初に定義しとかないとなっていうことには気付かされたよ。このあたりから私は過激派を極めるよ。


恋活アプリって、結局のところ出会い系と変わらないなってことがわかった。だから全部すっきりさっぱりやめた。婚活パーティーのほうがましかな。目的がはっきりしてるから。高いお金払ってるし。高いお金払ったうえで体目的の人もいるけど、アプリは課金しない限り無料で、ほとんどの人がそれだと思ってもいいくらい。分母の数が違う。もちろん違う人もいるし、いろんな人がいるけどね。少なくともメッセージを積極的に送ってくる人たちはそうだった。あと、会話のキャッチボールは基本的にできない。ソフトボール投げ。投げて終わり。


私は数年婚活と恋活を続けた結果、疲れはてて、もう一旦休憩しないとやってられねえ…って1年は行ってない。再開するかはわからない。もしかしたら再開するかもしれないし、再開しないかもしれない。人生においてのパートナーはいたらいいなと思うけど、もうがんばりたくないから…。


資格

子どもを持つ資格、ペットを飼う資格のはなしを最近Twitterでよく見かける。見かけるたび、思い出すことがある。


私は将来、広い家でペットを飼って平和に過ごしたいと思ってる。将来の夢。

何年か前から言い続けてきてるから、たまに、子犬が産まれた、子猫を拾った、って人たちに声をかけてもらえることがある。

たいてい、仕事が激務の時期で家に迎える準備すらできないとか、そもそも時期的に出張続きで家にいないから自分のことすらままなってない、とかそういう理由で断ってしまった。あと、あんまり産まれたてだと、かわいいけど、めちゃくちゃかわいいんだけど、世話をできる時間的余裕がない。時間の融通がきかない仕事だし、数時間おきにミルクあげて排泄の世話もして…って考えると、無理。育休取らせてくれるなら考える。

そういう時、だいたい言われるのが「飼っちゃったら大丈夫だって!考えすぎ!」


私は動物を飼うことに対して、いのちを預かる行為だと思っているからいろいろやらなければいけないことがあると思っている。

考えすぎとか言ってきた人、正直、軽蔑してる。いのちなんだよ?そりゃ、人間とは違ういきものだよ、だけど、産まれてしまった、いのちなんだよ。感情がある、人間と同じ、生きてるんだよ。

飼うことに対するはなしね。食べる食べないのはなしは今日は置いといて。思春期のころ、一時期、肉食べられなかった程度には考えたことあるから。考えてもなにが正しいのかわからなかったけど。


生きることに対して人間だと衣食住の確保や最低限文化的な生活がよくあげられるけど、そういったこと。衣はもう自前のかわいいかわいい皮を着てくれていることが多いからいいんだけど。例えば、ごはんはどうするのか?排泄の世話はどうするのか?一人暮らしだから仕事で遅くなったときはどうするのか?急に出張に行けと職務命令が出たときはどうするのか?病気になったら病院はどうするのか?去勢、避妊手術はどうするのか?もし、私とその生きものの性格があわなかったら?

家に迎え入れて終わり、では決してない。


同時並行してよく言われるのが、「子どもを産むことは今考えられない」という私の発言に対する、「産んじゃえば大丈夫だよ!考えすぎ!」というせりふ。腐るほど聞いてきたし見てきた。

なにが大丈夫なのか?

端的に申し上げよう。私は、一個も大丈夫じゃない。むしろ、すべてが大丈夫じゃない。

誰と子どもを作るのかという論点は置いておいて、私が妊娠したとする。考えたくもないけど。ほら、こういうこと打つだけでまぶたの下が痙攣してきた。ストレスが体にあらわれてる。で、ほぼ必然的に、体調不良にみまわれる。体調不良にならなかったら奇跡レベルだよね妊娠って。体調不良で仕事を休む。仕事を辞めざるを得ないかもしれないし、辞めさせられるかもしれない。総活躍社会とか言ってるけど。辞めてきた人をたくさん見てきた。仕事を辞めると、収入がなくなる。収入がなくなると、どうしたらいい?産むのって、すごくお金がかかるんだよ。産んだことなくてもわかるよ。ここを乗り越えて仕事を辞めず、体調不良と戦いながら、長い長い陣痛や、出産の鼻の穴からスイカを出すような痛みを乗り越え、あかちゃんがやってきたとする。ひとりの人間をこの世に産み落としてしまったとする。そこはゴールじゃない。むしろもうひとつのスタートライン。もう止まることの許されない、スタートライン。

怒涛の日々。産んだことはないけど新生児から育てたことはあるからわかるよ。大変だよ。これに、出産による身体へのダメージと体調不良がついてくる。

大変なのがわかってるから、産みたくない。私はもう、がんばりたくないから。あと単純に、痛いのやだし。


「大丈夫だよ!」って無責任な発言をしてきた相手に反論したことはないけど、種族は違えど、いのちというものに対しては少なからず責任がうまれると思うんだよね。

そこを、種族問わず、無責任に、大丈夫だって〜!!って言われると、ほんとうに腹がたつ。実の親にも言われたことがある。私やきょうだいが産まれて大丈夫じゃなかった人がなに言ってんだ…って感想しかわかなかった。無責任なこと言わないでって怒ったけど、伝わってなかった。


考えて、自分は大丈夫だと思ったら飼えばいい。産めばいい。

考えて実行した結果、思ってたより大変!ってこともよくあると思う。考えずに実行して、なにこれ大変なんだけど!ってこともあると思う。考えても考えなくても、楽にことが運ぶこともある。

私も短期間で現場に行きすぎたとき、日程組んだ時は大丈夫だと思ったのに…って後悔する。でもHPは失うけどMPはぐんぐん回復してるから現場の場合は多少行きすぎても大丈夫なんだけどさ。


車を運転するのには運転免許証が必要だ。携帯せずに運転しただけで罰せられる。資格がないと就けない仕事、資格があると有利にはこぶ仕事、中には資格マニアの人だっている。

いのちを迎え入れるのには、今のところ、運転免許証のような資格はいらない。

だけど、「親になる資格のないやつが子どもを作るな」という発言をよくインターネットで見かける。

親になる資格ってなんだろう。私はそもそも親になろうとも思ってないからその資格いらないんだけど、持ってる人と持ってない人の違いってなんだろう。発言をした人に聞いたことないからわからない。

私は、対象をしあわせにするという覚悟があるかどうかだと思う。それは子どもじゃなくて、犬でも猫でもトカゲでも魚でも一緒。

ただし、しあわせはそれぞれ条件が違う。文化によっても違う。画一的なしあわせなんてどこにもない。私がしあわせだと思っていることを、もしかしたらペットはしあわせだと思ってないかもしれない。うちに来てしまった時点で、しあわせではないのかもしれない。杞憂で終わる場合もあると思う。たまたま、しあわせの条件が重なることもあると思う。だって、私は辛いものが食べられないから、毎食毎食辛いものしか出てこなかったらその時点で少なくともしあわせではないけど、辛いものが好きな人同士ならしあわせなんじゃないかな。そこをすり合わせることって、すごく大変だと思う。ひとりだけが全部我慢しないといけないわけじゃないけど、相手が動物の場合はしつけの範囲外のことは人間が我慢したほうがいいよねとは思う。


子どもを産むことに対する発言が炎上しているのもよく見る。

親になることに対しては少なくとも、資格を得たいと思える人が増えるほうが社会としてはいいんだろうなとは思う。人口減るから。ただ、その資格を得たくない人間がいることも知ってほしい。私はいらない。

画一的なことがしあわせとされる社会に生きていると、ときどき息がつまる。ときどきどころじゃないな。よくつまってるな。つまるたびにTwitterで大暴れしてるな。付き合ってくれる人たち、ありがとう。ほんとうに感謝してる。

もしよく炎上しているように、資格資格って言いすぎてついに将来的に親になることや動物を飼うことが免許制にされたら、動物を飼う免許だけは積極的に獲得しにいくことに決めている。




さみしさ

「その年齢で結婚してないのって、さみしくない?」ってよく聞かれる。

ひとりでいるのはさみしいことなんだって。

ひとりになりたくて実家を出たし、一人暮らしをさみしいと思ったことないって言うと「うっそだー!」とか、「そんなに強がらなくてもいいのに」って言われる。

あと、「ひとりをさみしいと思わないと結婚できないよ」って婚活をがんばってた先輩に言われたこともある。

「じゃあ一生結婚できないかも!」って笑ったら、「さみしいと思わないとだめだよ」って諭すように言われた。


「さみしい」ってなんだろう。


さみしくて泣いたの、覚えてるのは、小学校1年生の時のはじめての授業参観で、PTA会があった時かな。うちはお母さんが参観日来てて、学年のなにか役してたのかな?会に参加するから待っててって言われてひとりで待ってたときはさみしくてこわくて泣いたなあ。

終礼が終わったあと、友達はみんな保護者と家に帰るのに私は帰れなくて、もうひとり同じクラスの子で残ってるのは、私のことを好きだからいじわるしてくるって噂の男の子で、その子が教室にいるから一緒に待っていたくなくて、会が開かれてる体育館の横の中庭でひとりで待ってた。

大きい学年の子たちはそもそも保護者を待たずに自分たちで帰ってたし、先生たちも会に参加してるのかなんなのか、職員室含め校舎の中にはほとんど誰もいなくて、鳥の声がたまに聞こえてくるくらいだった。

小学校の中庭でふと、音がしなくなって、世界に誰もいなくなったように感じたんだよね。

世界にひとりだと思ったらとたんに怖くなってさみしくなって、涙が出た。泣いてたら体育館から保護者の人が出てきて、泣いてる私を見てお母さんを呼んでくれた。お母さんは「会の最中だったのに!」って言ったけどそれ以上怒られなかった。真相はわからないけど、迷惑かけたのに怒られなかった。 もしかしたらお母さんもはやくPTA会から帰りたかったのかもしれない。聞いたことないからわからないけど。

ひとりをさみしいと思ったの、そのくらいかな。

漫画っぽくない?感受性豊かすぎない?小学校1年生の私。多分7歳。7歳にして世界でひとりだと思ったとかすごくない?誰か漫画にしていいよ!!


あとは、さすがに病気になったときは一人暮らしだと何かあったとき心細いけど、さみしくはない。でも実家にいると放置か執拗にいらないおせっかい焼かれるかのどっちかだから、自分で判断して病院行けばいい一人暮らしのほうが気は楽。


ほかにさみしいと思うことって、コンサートから地元に帰るときとか、推しがグループを卒業したときとかくらいかな…。


世の中のみんなは、家に帰って誰も出迎えてくれないのはさみしいらしい。ひとりでご飯食べるのはさみしいらしい。

私はあんまり、その概念がわからない。


あんまりにも「さみしい」がわからないから、さみしいとはなんだ?!ってググって、初めて知ったことがある。


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そこかい!って感じなんだけどさ、「さみしい」じゃなくて、「さびしい」なんだ?!?!?!

二十なん年生きてきて、初めて知った。日本語警察に逮捕される…!

へー!「さびしい」なんだ!タイトルにも「さみしい」って入れちゃった!許して!

で、ググった結果、言葉の意味はわかったけどというかだいたい予想してた意味だけど、それがひとりだとさみしいにつながるのはわからないままだった。

それこそ今の私が小学校1年生の初めての参観日のときのままの私だったら、一人暮らしなんて、世界にひとりなんだって思い知らされて毎日泣いてたかもしれない。

だけど今の私は泣いてない。むしろ一人暮らしが楽しくてしかたない。私はお金を失ったかわりに自由を手に入れてる。もう戻れない。


でさ、「さみしい」って、世の中の圧力もあるんじゃない?ってちょっと思った。

結婚しないなんて人間性に問題がある証拠。ひとりはさみしい。ひとりはかわいそう。結婚しなきゃ生きていけない。結婚したら幸せになれる。


それって、ほんと?

何回も言うけど私は決して結婚を否定しているわけじゃない。支えあって生きていける人を見つけられるってほんとうにすごいことだと思うよ。ただ、支えあうんじゃなくて、自分を支えてくれる人を見つける目的の人間が多すぎて、あきあきしてるだけ。

好きだから付き合う!好きだから結婚する!っていうのが、世の中の風潮としては理解できるけど、アロマンティックアセクシュアルの私は持ってない概念だから、わからないだけ。だから、条件的に合う人を探すしかない。

数年婚活を続けた結果、これがないとだめ絶対譲れないっていう条件は「自立してる人」。生活的にも感情的にも。

前の記事でも書いたけど、私は今後の人生において一切がんばりたくないんだよね。

がんばらないと私を好きになってくれない人や、がんばることを強制してくる人、自分ががんばらないかわりに私をがんばらせる人、ほんとうにいっぱい見てきた。

だいたい、最初は無意識にがんばっちゃうんだよね。根がアダルトチルドレンだから。あんまり自分のことアダルトチルドレンだからって言いたくないけどもうアダルトチルドレンなのは逃げられない事実なんだからしかたないんだよ。で、ふと我にかえる。なんで私がんばってるの…?こいつのためになんでがんばらなきゃいけないの…?

その瞬間、ハイ無理〜😇ってシャッター降りる。閉店〜。おつかれさまでしたー。

私がしっかりしてる見た目で実際なんでもひとりでできちゃうしこんな性格だから、依存度が高い人がめちゃくちゃ寄ってくる。この人なら自分を支えてくれるかもしれない!って勘違いした人が。性別問わず。いやなんだよね。もうがんばるの。


実際、友達が私もかすかに知ってる男子(話を聞く限り精神的に超不安定なアダルトチルドレン)と付き合って心身ともにボロボロになって別れたとき、「まつしたなら面倒見いいし、大丈夫そうだよね。あの人の面倒見てあげてよ」って言われた。

さすがの私もクソデカため息しか出なかったし瞬時にお断り申し上げた。

10年以上一緒にいる友達で、信用してるから言ってきたのもわかってる。だけど、そんなの共倒れでしかなくない?多分、誰も幸せになれない。その男子は、結婚したら幸せになれるって信じてた。だからそんな不安定な自分のためにもはやく結婚して幸せになりたかった。そこには尽くしてくれて自分に全てを捧げてくれる無償の愛が待ってるから。


アダルトチルドレンも半分くらい同化して、不安定ともようやくなんとか付き合いながら生きてる私としては、そんなうまい話があるか!!!って言いに行きたいけど、その行動に対して「自分のことをこんなに思ってくれるなんてこの人は自分のことが好きに違いない…!!」って勘違いされるか、「そんなに言わなくても…鬱…」って思い込まれるかのどっちかにしか転ばない自信しかないから何もしないけど!何もしないけど!


結婚したって、そこに無条件の幸せは待ってないんだよ。自分で見つけていくしかないんだよ。私は今、それを探してるんだよ。しあわせをつかもうとあがいてるんだよ。誰かが助けてくれるなんてそんなうまい話はそうそう転がってない。たまに転がってるらしいけど、多分宝くじ並み。宝くじに当たる自信のある人はそれでいいと思うけど、私、昔からビンゴでさえほとんど当たらないんだよ。だから自分で掴み取るしかないと思ってる。


この前も「ひとりがさみしくないとかすごいね〜(笑)私ならむり〜(笑)」ってジェンダーロールバリバリヘテロ女子に言われたし、いつも強がってると思われる。強くなきゃこの世界で生きていけないと思ってるから、半分くらいは当たってるのかもしれないけど、だからって他人を勝手に決めつける社会は平成とともに終わりにしたい。決めつけられて嬉しいことなんてひとつもないから。

私の手の届く範囲で少しずつ主張していきたい。もう巻かれたくない。巻かれてうれしいのは猫のしっぽくらいなもんだ。

私は強くなきゃ生きていけないと思ってるし、元々の性格からも思ったことは比較的口に出ちゃうし、でも空気は人一倍読めるからあえて空気を読まないようにしてる。そしたらいま職場の年上の男性陣からは「ポストお局」と呼ばれてる。うるせえ。お前らの「常識」にあわせて発言するけど年下の女に責任を押し付けるな。お前らの尻拭いをさせるな。ケツは自分で拭け。

どうせそう呼ばれてるなら、ポストお局として最大限その役になりきってやろうと思ってる。

さみしくないって言ってる私がもし奇跡がおこって急に結婚したりしたらその時は祝福してね。