寛容ということ
アセクシュアルをいつか説明するべきときが来たらどう説明しようかと考えてた。
LGBTって知ってる?レズビアン、ゲイ、バイ、トランスジェンダーね。ここまでは有名なやつ。このLGBTのあとにQAってつくの。クエスチョニングとアセクシュアルね。ほかにもいっぱいあるんだけど、今日はここでやめておくね。
私は自分のことをこの「A」、アセクシュアルだと思ってるの。
アセクシュアルって聞いたことある?聞いたことない人のほうが多いと思う。私も調べるまで知らなかった。
アセクシュアルは「恋愛感情を持たない人」なの。
レズビアンは女性を好きになる女性。
ゲイは男性を好きになる男性。
バイはどちらの性も好きになる人。
超簡単に言うとアセクシュアルはバイの逆。
どの性別も恋愛感情として好きにならない人のことをアセクシュアルって言うの。
私は自分がこれに該当すると思ってるの。
恋愛感情として好きにならないだけで、友情や親愛としては人を好きになるよ。
偏見かもしれないけど、恋愛至上主義の現代ではまだあんまり受け入れてもらえてないかな。
アセクシュアルの私たちがよく投げつけられるのが、「まだほんとうに好きな人に出会ってないだけだよ」「人を好きになる気持ちを知らないなんてかわいそう」とかそんなかんじの言葉。
ほんとうの好きってなんだろうね。
好きにも本物と偽物があるんだね。誰が決めるのかな。
ちなみに余談だけど私の推しのうちのひとりは「幸せに本物と偽物があるのか」って言いながら死んでいった。幸せの本物と偽物って誰が決めるのかな。私の幸せはあなたの幸せではないし、あなたの幸せは私の幸せではないのにね。
友達のことは好きだし、信用できる人のことは人として好きになるよ。人としての好きの上位に恋愛の好きがくる世界は、恋愛感情がよくわからない私には少し生きづらい。
好きな人とは一緒にいられるだけで私はしあわせだよ。
「性行為を伴わなくてもパートナーは作ることができる」ってみんな言う。そうだね。そうであってほしい。
だけどそれと同時に私は、パートナーを持たない人が、社会的信用がないって後ろ指を指されることのない社会になってほしい。
パートナーがいるかどうかってその人個人の人間性や社会的信用とは関係ないと思ってるから。
私は私のパートナーになってくれる人なら性別は問いたくない。だけど現代社会では異性同士でなければ日本では結婚ができない。
結婚という枠にとらわれたくないけど、一緒に生きていくなら結婚をしないとパートナーとして社会的に認めてくれないから、私は女体持ちだから今のところ見つけるなら男性からがいいなあとは思う。
ていうかいろんなしがらみから解き放たれたいんだよね。
◯◯はこうするべき、って理論滅べばいいと思ってる。
みんなの生きる権利が守られたうえで、みんなが加害者にも被害者にもならず、みんなが好きなように生きられる社会になってほしい。誰にも関係ないところで後ろ指を指されないし関係ないところで誰にも後ろ指を指さない社会。
理想郷だっていうのはわかってる。理想で生きていきたい。