それでも

生きていくのってむずかしい。

いままでのこと

ブログを書くのは10年ぐらいぶり。

ずっと私は「普通」に生きていたつもりだった。

だけど、「普通」にはどうがんばってもなれないってことに気付いた。


私は10年前、アダルトチルドレンだって言われた。

カウンセラーになるための授業。まずは自分を見つめてみましょうって言われて、回答用紙に答えた。そしたら、私の回答用紙のグラフは、教科書に載っていない形だった。だから、先生に聞きに行った。私のグラフ、教科書に載ってないんですけど。って。そうしたら先生は私のグラフを見つめて、私の顔を見つめて、何とも言えない表情をして、言葉に詰まった。

10年前のことだけど、今でも覚えてる。先生のあの表情。先生の名前も忘れちゃったけど。悲痛な、とも違うし、眉をひそめる、でもないし、なんて言ったらいいのかわからないけど、言いにくそうだった。私はなんで先生がそんな表情をするのかわからなかった。教科書に載ってなかったから聞きに行っただけなのになんでこんな顔するんだろう。そんなに私はめずらしいケースなのかな?とか、能天気なことを考えてた。

そしたら、ちゃんと調べないとわからないけど、って前置きをして、言われた。アダルトチルドレンって。

単語としては知ってた。でも、自分がアダルトチルドレンかもしれないって言われて、妙に腑に落ちた。

授業が終わって家に帰ってから、回答用紙のグラフをネットで検索した。先生に言われたことと似たようなことが書いてあった。

読めば読むほど、私はアダルトチルドレンだったのかもしれない…って気持ちになった。だって、「これ私のことじゃん!」って思うことしか書いてなかった。

物心ついたときから、小さな大人として育てられた。それが当たり前だった。小学生だから、中学生だから、高校生だから、なんて言い訳、許されなかった。やりたくなくてもやらなきゃいけなかった。私の子ども時代はかえってこない。


特に治療はしていない。10年前、先生には、好きなことをたくさんしなさいって言われた。それだけ。私もその時は治療しなきゃいけないとも、治療したいとも思わなかった。ふーん…そうなんだ…くらいの認識だった。

あと、精神科が怖かった。イメージね。イメージ。10代の何もわからない一方的なイメージね。薬飲んでる同級生も何人かいたけど、不安定な子が多くて、私はそうなりたくないって思ってた。就職に不利になると思ってたし。傷ついた人がいたらごめんね。10年前の私はそう思ってたの。


でもこのとき初めて、同級生と自分を比べたとき、「普通」じゃないのかもしれないって気付いた。

一緒じゃないっていうのはわかってた。だって、小学生のとき、こんなに家のことしてる友達いなかったもん。家帰ったらおやつが出てきて、宿題して遊んでたら晩ご飯が出てくるっていうの、概念としてよくわからなかった。料理しなきゃご飯食べられないじゃん。中学生のとき、病気になった家族のお世話してる同級生、いなかったもん。高校生のとき、お小遣いもらいはじめたけど、その中から家族の食費出してる友達いなかったもん。

でも、それが当たり前だった。当たり前だと思って生きてきた。みんなにとっての当たり前じゃないのはわかってたけど、私にとっての当たり前だったから。


10年前、これが当たり前じゃないって気付いてしまった。その瞬間、家族とは暮らせなくなった。だって当たり前だと思って生きてきたことが当たり前じゃなかったんだよ。私にとっての当たり前にしなくてもよかったんだって先生に言われてはじめてわかった。今は先生にすごく感謝してる。名前も覚えてないのにね。先生、がんばったねって言ってくれてありがとう。私はがんばるのが当たり前だったから、もっとがんばらなきゃって思ってた。同時に、怠けることも知ってしまって成績はそこで落ちたし開放感から体重も増えたけどこれでよかったんだ。肌荒れも減ったし。

多分、先生に言われなかったら私にとっての当たり前は当たり前じゃなくていいってずっとわからないまま、私はがんばらないと愛されないんだって思い込んだまま生きてたと思う。

そんなことが10年前にあって、でも人間って生きてるといろいろ忘れちゃう。がんばるってことがもはや脊髄反射レベルで染み付いてるから、今でもよくがんばりすぎちゃう。それで気付く。がんばらなくていいんだ。もう私はがんばらなくていいんだ。やらなきゃいけないって思わなくてもいいんだ。ってそのたびに自分に言い聞かす。もう一生分、いままでの人生でがんばってきたからもうがんばらなくていいんだ。

みんな、がんばらなくていいんだよね。がんばらないと愛されないなんてそんな愛はいらない。でも子どもの頃の私はそれがすべてだったんだ。大人になって自分の世界が広がってほんとうによかった。だいたいの子どもって家庭が世界のすべてなんだもん。もちろん、家庭が世界のすべてじゃない子どももいるよ。自分の知ってる世界がすべてじゃない子どももいるよ。大人になっても自分の知ってる世界がすべての人もいるし。

私は10年前、それを知った。自分の見えてる世界がすべてじゃないし、自分の知らない世界がたくさんある。自分の見えてる世界の常識は、違う世界では常識じゃないかもしれない。知らない世界をたくさん知ることで自分の幅も広がっていくんだと思う。


そんな私は1年前、自分のことをアロマンティック・アセクシュアルだと思った。