それでも

生きていくのってむずかしい。

ステレオタイプ

私は、学生のころ、ステレオタイプについて研究をしていた。

なんの研究かって言われると難しいけど、ステレオタイプから外れれば外れるほど、他人の記憶には残りやすいっていうことがわかった。

 

みんな心のなかにステレオタイプを持ってる。

私だって、持ちたくて持ったわけじゃないけど、人的環境から影響を受けて、知らず知らずのうちにみんなのなかに形作られていく。

持ってない!!って自信をもって発言する人だっているかもしれない。

もしかしたらほんとうに持っていないのかもしれない。心のなかを覗くことなんて誰にもできないから、ほんとうのことは誰にもわからない。全員が持っていると私は思っているから、全員がステレオタイプを持っているという前提ではなしをする。

 

少し前に話題になった映画がある。「ズートピア」。私ね、この映画すごく好きなんだ。そりゃあ腑に落ちないところはあるけど、作品として好きだから好き。金曜ロードショーでこの前やったときに大騒ぎした。ズートピア。見たことない人がいたらぜひ見てほしい。主人公のうさぎが最高にかっこよくてかわいい。

ズートピアも、ステレオタイプに言及する映画だったなと思う。

「動物」に対するイメージ。ズートピアに出てくる動物でたとえると、うさぎはかわいくてかよわい、きつねはうそつきでずるがしこい、ライオンはかっこよくて強い。

ほんとうにそうなんだろうか。

長くて短い人間の歴史のあいだに形作られてきたそれぞれのイメージ。きつねなんて西洋東洋問わず、ひとをだます動物だと思われてる。でも、それは物語のなかの話だ。ほんとうにきつねが化けてひとをだましたことはあるんだろうか?これもステレオタイプのうちのひとつだと思う。

ズートピアの動物たちは、擬人化されたキャラクターで、現実を生きているいきものではないのもわかってる。

主人公はうさぎの村でうまれたうさぎで、女で、警察官になりたい。うさぎはにんじんを食べるものだから、うさぎの村ではにんじん農業が主な産業みたいに描かれている。主人公の両親もにんじん農家だった。この世界では警察官は肉食草食問わず大型の動物がなるもので、うさぎの警察官は過去にいない。女の警察官もほとんどいなかったんじゃないかな?警察学校の教官の声は女かな?と思ったけど。主人公と同じトイレ入ってたし。そんな世界で主人公は警察官になった。にんじん農場を飛び出して、ライオンや、サイや、大型の動物に囲まれて生きていくことを選んだ。警察学校での成績は主席だった。

だけど、現実に待っていたのは「うさぎにみんなと同じ仕事は任せられない」と、みんなは危険な事件を調査しているのにひとりだけ駐車違反の取り締まりをわりふられる。

 

こういうこと、現実の世界でもたくさんある。

 

「女性初の○○!」とか、「男性初の○○!」ってメディアでよくとりあげられてる。

私も現実の世界では似たようなあつかいを受けてる。ある分野での成績はピカイチだったと自負するけど(だって2年連続そういう結果の数字がでてる)、ほとんどの人がそれを認めない。少しずつ伸びてはいるけど女の比率が低い男社会に飛び込んだから。べつに覚悟を飛び込むつもりはなかったけどうっかり飛び込んじゃったから。そうしたら、50人そろった会議で女は私ひとり、なんてことざらだった。まわりは全員男。見た目が20代だから、私が意見したとしても「若い女が何か言ってるぞ」ってかんじ。どこに行っても若い女としてあつかわれる。時には丁重に、時には辛辣に。これ、ひっじょーーーーーに腹が立つ。私が結果を出してるのは数字があらわしてるのに、それを知ってるのか知らないのか、「若い女だから何も知らない」(イコール、ばか)という前提であつかわれる。得意な分野のことは誰だって知ってるし、不得意な分野のことは誰だって知らなくて当たり前なのに、私がある分野に関して知らないことがあると「若い女だから知らないんだ」って言われる。うるせえ。うるせえof theうるせえ。

だれも丁重にお姫様のようにあつかえなんて言ってない。「若い女はなにも知らない」って固定観念、世界中にステレオタイプとしてはびこってる。

 

もうひとつ好きなものを紹介すると、「青のフラッグ」という漫画がある。

 

青のフラッグ 5 (ジャンプコミックス)

青のフラッグ 5 (ジャンプコミックス)

 

 

ジャンプ+ってアプリで数話は無料で読めるから、ぜひ読んでみてほしい。いま最新刊は5巻だし。ひとつ600円プラス消費税だから、3,240円あれば全巻手に入る。増税前にぜひ。

で、この漫画に、真澄ちゃんって子が出てくる。32話で、ステレオタイプで決めつけられて怒ったマミちゃんって子に、真澄ちゃんが言うんだ。「それが知恵」って。「経験や、知識に基づいて、予測し警戒し、危険を回避。時には攻撃して排除する。本能に従った合理的な防衛策。生き物は未知を恐れ、知恵のある者は今まで見たことのあるもの、既に知っているものと近いものを当て嵌め、分類し安心を測る。」って。これ、すごくわかるんだよね。わかるんだけど、だからといって他人をステレオタイプにあてはめ、勝手に他人の人格を形作ってはいけない。心のなかで思っているだけなら自由だけど、「あいつはこういう見た目だからこうに違いない」「あいつはこういう属性だからこうだ」って言いふらしてはいけない。

 

ステレオタイプの中にも、ほんとうのことだって混じっていると思う。

事実があったから、形作られていくものだから。ただ、全員がそうではないということを忘れてはいけない。自戒も含めて言うよ。条件にあてはまるすべての人がそうだと確信してはいけない。

 

そしてこのステレオタイプから離れれば離れるほど、他人に印象が残りやすい。ステレオタイプに当てはまったものは、「いつものこと」として流れていきやすい。私が学生のころ研究していたこと。

簡単なことだと、たとえば、「B型の人間は自己中」。よく血液型占いで聞くやつだね。とても献身的で自分のことなどかえりみない血液型がB型の人がいたとする。「B型の人間は自己中」というステレオタイプを持つ人々のなかでは、そんなB型の人間は特異点でしかない。「B型『なのに』自己中じゃない」。

自己中なB型の人間を見て「あーB型だもんなあしょうがないなあ」としか思わない人が、「B型なのに!私の中の常識と違う!!」となる。そして、記憶に刻まれる。

ちなみに私は血液型占い、ずっと信じてないからこの説はよくわからないけど、研究したときにいちばんよく他人に理解してもらえる説明方法がこれだった。すごいよね。血液型で人間が分類できると思っている人間がたくさんいるんだよ。

でも、これは私の中のステレオタイプ。「血液型占いを信じている人は固定観念にとらわれやすい」。理論的な話が通じにくいともいう。ソースは私。それがいいとか悪いとかの話ではない。だからばかなんだ!!とかは思ってないよ。そういう人もいるって思ってるだけ。

相手にほんとうに効くかはわからないけど、印象付けたい相手がいるとしたら、ステレオタイプからはずれた行動をしてみるのも手かもしれない。意図してやったことではないけど、私は「女なのに」いまの仕事をしているおかげで、覚えてもらいやすい。良くも悪くも。私はどちらかといえば内向的だから積極的に顔を売りたいわけではないけど、覚えてもらっておくとあとあと有利に働くこともある。ただ、こっちも相手を覚えないといけないけど。アイドルに興味ない人がアイドルの顔が全員同じに見えるように、おじさんに興味ないからおじさんの顔が全員同じに見える……。背が高いか低いか、太っているか痩せているか、髪の毛があるのかないのか、眼鏡をかけているのかかけていないのか。そのくらいの違いしかわからない。もっとキャラ立ててほしい。埋もれてるぞおじさんたち。

学生のころこういうことを研究してたおかげか、自分に付属するステレオタイプがなんとなくわかる。私に会ったことがある人はすがたかたちを思い出してほしい。

20代の女、独身、髪が長い、臆さない、強そう、痩せている、あげればきりがないけど、そこから私に対する属性が他人の中で形作られていく。

若い女はばかだ、って思っているおじさんの多さにはあきあきするけど、逆手にとって、じゃあやっといてくださ~いわかんないんで!シクヨロ~!!って押し付ける。

20代で独身だから今すぐにでも結婚したいんだろう、イケメンが好きなんだろう、って言われると、そりゃ見るだけなら顔は良いほうがいいと思うけど、好きで独身やってるし私にメリットがあれば結婚しますけど??ってかえす。これは単純にそう思うだけ。

臆さないしはきはきしてるから不倫したとしても秘密を守ってくれそう、やらせてとか言ってくるクソジジイは控えめに言ってそのまま永眠してほしい。あとそういうことは絶対秘密にしないし大声で世界に向けて発信していこうと思う。実名出すとこっちも身バレするから実名は出さないけど、とある町のとある団体の所長さ~ん!!あなたの人間性がクソなのはわかったんで金輪際近寄りませ~ん!!!

 

なかなか自分が持っているステレオタイプ、自分が勝手に周りから持たされているステレオタイプをはっきりと認識することは難しいけど、もしどちらかに気づいたらそれを活かすのか捨てるのかは一度考えてみてほしい。「たとえマイナスなことを言われても自分のプラスになるようにかしこく生きるべき!」とかいうよく巷で渦巻くクソみたいな理論を展開するつもりはないけど、自分をすこし変えるだけでまわりの世界もすこしだけ変えられるかもしれない。今まで持っていたものとは違うステレオタイプを持たされることにはなるけど、どちらが良いのか選択はできる。現実は物語ではないからすべてがハッピーエンドとはならないけど、あがいてみるとたまに良い方向に転ぶこともある。私はいまのところそう思いながら生きてる。