それでも

生きていくのってむずかしい。

生きること

ブログに反応もらえるとうれしいね。ありがとうございます。励みになるし、記事が記事だから生きてきたことを認めてもらえた気持ちになる。大げさなじゃないよほんとだよ。がんばって生きてきました。みんながんばって生きてるよね。みんなえらいよね。私もえらいよ。私えらい!!!!!


10年前、アダルトチルドレンって言われた頃から自己肯定感高めようキャンペーンやってるんだけどいまいち効果がない。いや効果はあるんだろうけど。いまいち実感してない。自己肯定感なんて育むことなく、ただでさえないものを削がれる生活しかしてこなかったから。

『やらなきゃいけない』じゃなくて『できる私すごい』に変換していくの。10年もやってんのにまだ完全にできないの。笑えるよね。しょうがないよね。『やらなきゃいけない』で20年近く生きてきたんだから。はやくこの年数が逆転するといいな。


でも自分で自分をほめてるとまわりもほめてくれるようになるよ。ほんとだよ。なんだこの生意気!って逆に抑圧しようとしてくる人もいるけどね。大学生の頃の口癖は「私天才」だった。自分で言ってると友達もつられて天才じゃん!って言ってくれるようになるよ。ソースは私。


いまでも実家に帰ると削がれまくる。だからできるだけ帰らないようにしてる。

なんていうの?自分と他人の区別がついてない感じ。家族でも人としての個体が違えば他人だよ。同一個体じゃない。これがわからないというか、この概念がない人たち。脳みそが違うんだからしょうがないと私は思うんだけど、しょうがなくないんだってさ。同じ考えでいなきゃいけない。からすは赤いって言われたらそうだね赤いねって言わなきゃいけない。違うよからすは黒いんだよって言ったらあんたはなんでそんなこと言うの!!って怒られる。しょうがないじゃんからす、黒かったんだよ。大げさなことに聞こえるけど小さいことでも全部これだからね。食べ物でも服でも、家族が良いと思ったら良い。悪いと思ったら悪い。私の意見は関係ない。私の意見は、通らない。

家族みんなが私を頼る。理由?私が女として生まれてしまったから。いつも言われてた。お姉ちゃんなんだから、女の子なんだから、だからそんなこと言うもんじゃない。するもんじゃない。

そうやって私という個体は個体として認められず生きてきた。ちょっと違うことをしてしまったら家の外に放り出されるか、外の倉庫に閉じ込められる。たとえそれが入浴中でも。濡れた裸のまま。正直いま思うと頭おかしいよね。きょうだいはされてなかったのに。そもそも義務を課されもしない。私だけ義務を課され、少しでも間違ったことをすると罰を受ける。こう書くと壮絶な人生みたいだけど当時の私はこれが当たり前だったから、言うことを聞かず義務を果たさない私が悪いんだって思ってた。だから罰を課されるんだって。反抗期だけはすごかったけど。そりゃ反抗もするよね。今の私からしたらもっと反抗していいよ当時の私。お金あったら家出したかった。私にお金がなくてよかったね、家族。


これっておかしいかも、ってよぎったこともある。小学生じゃなかったと思う。中学生くらいの頃。その日、家にはほかに誰もいなくて、私とおじいちゃんだけだった。私は体調が悪くて朝一度起きたけど昼すぎまで寝てたからみんながいないの知らなかった。目が覚めて水を飲もうと台所へ行った。そしたら、おじいちゃんが食卓に座ってた。どうしたのって聞いたら、お前が起きてこないから待ってたって。なにを?って聞いたら、昼ごはんが出てくるのを待ってたんだって。

炊飯器の中にごはんはあったし、冷蔵庫に作り置きのおかずも入ってた。鍋の中に味噌汁もあった。

やばいと思った。

自分で冷蔵庫から出しなよ〜とかなんとか言って、何が食べたいの?って聞いたら、インスタントラーメンが食べたいんだって。私がお昼ごはんを作りに台所に来るのを待ってて、来たらインスタントラーメンを作ってって言おうと思ってたんだって。おばあちゃんとお母さんはインスタントラーメンは体に悪いって食べさせてくれないからって。

やばいと思った。

この人は、インスタントラーメンも自分で作るっていう考えがないんだ。冷蔵庫を開けようとも思わないんだ。って初めてわかった。

お母さんが帰ってきたとき、このことを話したら、おじいちゃんは冷蔵庫を一度も開けたことがないからねって言ってた。ザ・亭主関白みたいな人だからって。そして普段はインスタントラーメンは作らないからあんたが作ってあげてって。たまにならいいでしょって。

おばあちゃんには怒られた。インスタントラーメンを作ったことじゃない。出かけるときに、おじいちゃんの昼ごはん頼んだからねって声かけたのに!って。返事したと思ったんだって。寝てたのに。聞こえるわけないじゃんね。

なんかもう、今ならいろいろ言えるけど、10代そこそこの私には何にもできなかった。何も言えなかった。とりあえず、いくら体調悪くても、いくら夜更かししても、私が昼すぎまで寝てることはなくなった。たまに、おじいちゃんがひとりで台所で待ってて、私はおじいちゃんにインスタントラーメンを作って洗い物をした。

時代もあったと思うから、誰が悪いとかじゃないんだけど、ずっと誰かのために食事を作り続ける生活はやだなあって考えが浮かんでしまった。


ほんとうに今だからこんなこと言える。過ぎ去ってしまったから。実家はまだあるし家族も生きてるから、たまに帰省したときは現実として戻ってくるけど、今の私には自分の家がある。自分の居場所がある。生活基盤がある。あのころ持ってなかったものをたくさん持ってる。大人になりたくなかったけど、大人になるのも悪いことじゃない。子どものころ、ひとつも楽しいことがなかったわけでもないし実家にひとつも楽しいことがなかったわけじゃない。だけど、安定感?満足感?なんていうの?いまの生活のほうが精神が安定してる。嫌なこともいっぱいある。世間はクソ野郎ばっかりだ。だけど、家に帰ってやりたくないことはやらなくてよくて、自分の居場所があるってだけでこんなに満たされる。そうじだって洗濯だって料理だって、さぼりたかったらさぼっていいんだ。さすがにいちおう社会で生きてるから永遠にすべてをさぼるわけにはいかないけど、どうしても気が向かないときはやらなくていいことにしてる。だって死にゃしないし。


でも、家族からは離れたけど、まわりの人間たちからはあいかわらず義務を果たせと言われる。いろんなことに対して。

たいてい冠言葉は「女なんだから」。

知るか!って感じだよね。女じゃないとできないこともあるよそりゃ。女じゃなくてもできること、いっぱいある。身体機能的に妊娠出産は女体じゃないとできないのはわかるよ。だけどそれは機能的に持ってるだけで義務じゃない。お茶くみは女じゃなくてもできる。細やかな心配りは女じゃなくてもできる。サラダを取り分けるのだって女じゃなくてもできる。

私は生まれ持った環境で、料理も心配りもその他の家事も、『女がすべきとされてること』はだいたいできるようになった。できないといけなかった。これを「女子力〜w」って言われるとほんとうに腹がたつけど、私が女体を持って生まれなかったらきっとできないままだった。そういう意味ではある意味女子力なのかもしれないけど、女じゃなくてもできる。女体じゃないとできないって誰が決めたんだ。もし私が女体で生まれなかったら、インスタントラーメンを作れない、冷蔵庫を開けられないおじいちゃんと同じようになっていたかもしれない。

事実、弟は高校卒業するまでごはんの炊き方も、電子レンジの使い方も知らなかった。インスタントラーメンは作れたけどね。私、ごはん炊くの、小学生のときからやってたけど。


女体で生まれて良かった〜!ってブルゾンちえみばりに思ったことそんなにないけど、とりあえず、削る側に回りたくないからそれだけはよかったかな。

よかったことといえば、推しの女子アイドルの現場では男ファンが多いからその中に女ファンがぽつんといると、アイドルがちやほやしてくれる。爆レス。すごいよ。ファンサがすごい。指差しとかそういうレベルじゃない。一回私と一緒にライブに来てみてほしい。そんな比率だから女性ファンの誘客のために女性限定公演やってくれるのも嬉しいかな。あと女体持ちだから「キャー❤︎」って言えるの、すごく良い。推しが喜んでくれるから。黄色い声援って嬉しいんだって。女性限定公演でアイドルが言ってた。それを聞いてからは黄色い声援を心がけてる。


自分のことを女じゃないと思うかって聞かれたらよくわからない。少なくとも女体持ちだし。男だとも思わない。どちらかと言うと女だけど、私は女だから私なわけじゃない。私は私という人間で、たまたま女体持ちなだけ。女である前に人間だから。

これからも、人間として生きていきたいと思う。