それでも

生きていくのってむずかしい。

資格

子どもを持つ資格、ペットを飼う資格のはなしを最近Twitterでよく見かける。見かけるたび、思い出すことがある。


私は将来、広い家でペットを飼って平和に過ごしたいと思ってる。将来の夢。

何年か前から言い続けてきてるから、たまに、子犬が産まれた、子猫を拾った、って人たちに声をかけてもらえることがある。

たいてい、仕事が激務の時期で家に迎える準備すらできないとか、そもそも時期的に出張続きで家にいないから自分のことすらままなってない、とかそういう理由で断ってしまった。あと、あんまり産まれたてだと、かわいいけど、めちゃくちゃかわいいんだけど、世話をできる時間的余裕がない。時間の融通がきかない仕事だし、数時間おきにミルクあげて排泄の世話もして…って考えると、無理。育休取らせてくれるなら考える。

そういう時、だいたい言われるのが「飼っちゃったら大丈夫だって!考えすぎ!」


私は動物を飼うことに対して、いのちを預かる行為だと思っているからいろいろやらなければいけないことがあると思っている。

考えすぎとか言ってきた人、正直、軽蔑してる。いのちなんだよ?そりゃ、人間とは違ういきものだよ、だけど、産まれてしまった、いのちなんだよ。感情がある、人間と同じ、生きてるんだよ。

飼うことに対するはなしね。食べる食べないのはなしは今日は置いといて。思春期のころ、一時期、肉食べられなかった程度には考えたことあるから。考えてもなにが正しいのかわからなかったけど。


生きることに対して人間だと衣食住の確保や最低限文化的な生活がよくあげられるけど、そういったこと。衣はもう自前のかわいいかわいい皮を着てくれていることが多いからいいんだけど。例えば、ごはんはどうするのか?排泄の世話はどうするのか?一人暮らしだから仕事で遅くなったときはどうするのか?急に出張に行けと職務命令が出たときはどうするのか?病気になったら病院はどうするのか?去勢、避妊手術はどうするのか?もし、私とその生きものの性格があわなかったら?

家に迎え入れて終わり、では決してない。


同時並行してよく言われるのが、「子どもを産むことは今考えられない」という私の発言に対する、「産んじゃえば大丈夫だよ!考えすぎ!」というせりふ。腐るほど聞いてきたし見てきた。

なにが大丈夫なのか?

端的に申し上げよう。私は、一個も大丈夫じゃない。むしろ、すべてが大丈夫じゃない。

誰と子どもを作るのかという論点は置いておいて、私が妊娠したとする。考えたくもないけど。ほら、こういうこと打つだけでまぶたの下が痙攣してきた。ストレスが体にあらわれてる。で、ほぼ必然的に、体調不良にみまわれる。体調不良にならなかったら奇跡レベルだよね妊娠って。体調不良で仕事を休む。仕事を辞めざるを得ないかもしれないし、辞めさせられるかもしれない。総活躍社会とか言ってるけど。辞めてきた人をたくさん見てきた。仕事を辞めると、収入がなくなる。収入がなくなると、どうしたらいい?産むのって、すごくお金がかかるんだよ。産んだことなくてもわかるよ。ここを乗り越えて仕事を辞めず、体調不良と戦いながら、長い長い陣痛や、出産の鼻の穴からスイカを出すような痛みを乗り越え、あかちゃんがやってきたとする。ひとりの人間をこの世に産み落としてしまったとする。そこはゴールじゃない。むしろもうひとつのスタートライン。もう止まることの許されない、スタートライン。

怒涛の日々。産んだことはないけど新生児から育てたことはあるからわかるよ。大変だよ。これに、出産による身体へのダメージと体調不良がついてくる。

大変なのがわかってるから、産みたくない。私はもう、がんばりたくないから。あと単純に、痛いのやだし。


「大丈夫だよ!」って無責任な発言をしてきた相手に反論したことはないけど、種族は違えど、いのちというものに対しては少なからず責任がうまれると思うんだよね。

そこを、種族問わず、無責任に、大丈夫だって〜!!って言われると、ほんとうに腹がたつ。実の親にも言われたことがある。私やきょうだいが産まれて大丈夫じゃなかった人がなに言ってんだ…って感想しかわかなかった。無責任なこと言わないでって怒ったけど、伝わってなかった。


考えて、自分は大丈夫だと思ったら飼えばいい。産めばいい。

考えて実行した結果、思ってたより大変!ってこともよくあると思う。考えずに実行して、なにこれ大変なんだけど!ってこともあると思う。考えても考えなくても、楽にことが運ぶこともある。

私も短期間で現場に行きすぎたとき、日程組んだ時は大丈夫だと思ったのに…って後悔する。でもHPは失うけどMPはぐんぐん回復してるから現場の場合は多少行きすぎても大丈夫なんだけどさ。


車を運転するのには運転免許証が必要だ。携帯せずに運転しただけで罰せられる。資格がないと就けない仕事、資格があると有利にはこぶ仕事、中には資格マニアの人だっている。

いのちを迎え入れるのには、今のところ、運転免許証のような資格はいらない。

だけど、「親になる資格のないやつが子どもを作るな」という発言をよくインターネットで見かける。

親になる資格ってなんだろう。私はそもそも親になろうとも思ってないからその資格いらないんだけど、持ってる人と持ってない人の違いってなんだろう。発言をした人に聞いたことないからわからない。

私は、対象をしあわせにするという覚悟があるかどうかだと思う。それは子どもじゃなくて、犬でも猫でもトカゲでも魚でも一緒。

ただし、しあわせはそれぞれ条件が違う。文化によっても違う。画一的なしあわせなんてどこにもない。私がしあわせだと思っていることを、もしかしたらペットはしあわせだと思ってないかもしれない。うちに来てしまった時点で、しあわせではないのかもしれない。杞憂で終わる場合もあると思う。たまたま、しあわせの条件が重なることもあると思う。だって、私は辛いものが食べられないから、毎食毎食辛いものしか出てこなかったらその時点で少なくともしあわせではないけど、辛いものが好きな人同士ならしあわせなんじゃないかな。そこをすり合わせることって、すごく大変だと思う。ひとりだけが全部我慢しないといけないわけじゃないけど、相手が動物の場合はしつけの範囲外のことは人間が我慢したほうがいいよねとは思う。


子どもを産むことに対する発言が炎上しているのもよく見る。

親になることに対しては少なくとも、資格を得たいと思える人が増えるほうが社会としてはいいんだろうなとは思う。人口減るから。ただ、その資格を得たくない人間がいることも知ってほしい。私はいらない。

画一的なことがしあわせとされる社会に生きていると、ときどき息がつまる。ときどきどころじゃないな。よくつまってるな。つまるたびにTwitterで大暴れしてるな。付き合ってくれる人たち、ありがとう。ほんとうに感謝してる。

もしよく炎上しているように、資格資格って言いすぎてついに将来的に親になることや動物を飼うことが免許制にされたら、動物を飼う免許だけは積極的に獲得しにいくことに決めている。